DD54の思い出2005年06月02日 13時09分18秒

DD54と言う機関車を初めて見たのは15歳の時かなあ? 大阪駅の構内で福知山線からの列車の先頭に居たのか、姫路の播但ホームかあまり記憶がないんです。 調べてみれば解ると思うのだけれど・・・ネガでは福知山の機関区でC57やD51と一緒に写っています。 とても大きく感じたのはタブン先頭のデザインのせいだと思います。 エンジンの音も力強かったし・・・ 他の機関車と違って加速とエンジン音がリンクしているし変速時の一瞬音が止まるような感じが不思議でした。

客車に乗っていてもハッキリと変速時が解るのが面白かったし、排煙も蒸気の方が少ないんじゃ?と言うくらい油煙を吹き上げる時がありました。

初めて福知山を訪れた時は播但線はまだC57でしたし帰りは旧キロハで加古川へ出たハズなので乗ったのは翌年高1の夏かなあ

それからはよく乗りに行ったなあ だいたい播但線で姫路から上がって城崎で温泉に入って京都夜行で倉吉へ・・・この京都夜行がDF50だと、とても良く寝られる!DD54の時は加速時に変速の時に列車が揺れる・・・

けれど当時の山陰本線では最新の機関車で汽笛の音も情緒を感じていたカナ?

汽車好きじゃなかったら感じない程度の違いなんだけれどね!!

線路脇でカメラを構えていてもなんだか蒸気機関車みたいな温度を感じたって記憶があるんです。

山陰本線の最新鋭機ってイメージが強くって迫力のある機関車って感じかなあ

ちょうど出雲が急行から特急に変わった年の夏だったと思うのだけど・・・ 各駅停車で何時ものように山陰本線を下っていくと特急の通過待ちというアナウスでホームに降りカメラを持っていると。

かなり遠くから豪快なエンジン音が聞こえ始め線路の向こうにDD54が見えてきて・・・激しく上下左右に揺れながらブルブル車体を震わせて出雲のヘッドマークを掲げて猛然と通過していきます。

ところが

轟音と共にDD54が通過すると一瞬にして静かなカニの発電音と徐行しているような20系の優雅な揺れ方?カタンカタン・すーーーという感じです。

驚きましたねえ・・力一杯のDD54と余裕の20系?涼しそうな乗客? このコントラスト? 弁解すると たぶん 遅れ儀気味の出雲が場内の制限速度まで落として重量のあるDD54がポイントを通過した後にフル加速に移ったんだと・・思うんですが・・・・・・ それにしても 驚くほどの迫力と アレって感じの 20系の通過速度・・・

後にDD51が入線してきたときの余裕からすると非力だったんでしょうねえ

けれど山陰東部や播但の景色にはDD54はとても似合っていました。

幸いなことに交通科学館に保存されましたがDD54はやはり真っ黒に汚れた播但線の姿が似合いうと思いませんか?

ああ そうそう不思議なことが?大阪駅の福知山線のDD54はそんなに汚れていなかったと思うのですが? それは出雲牽引機も同じで?

なぜか??播但線の車両は真っ黒だったでしょう? それだけ播但線が過酷だったんでしょうかねえ?ただ単にDD54が条件によって油煙が凄くって播但線を往復するだけで車体が真っ黒になっていたのかなあ?

いずれにしても懐かしい機関車ですよね・・・・・・・

ガードレールの鉄片と専門家?2005年06月03日 09時44分14秒

昨日ぐらいからガードレールの鉄片って言うのがニュースになっています。 道路のガードレールに鉄片が付いていて高校生だかが怪我をしたって言う!

状況は良く解らないようで・・・愉快犯かNETで呼びかけた悪戯かなとか思いますが? それを解説するのにも専門家っていう人が出てくるんですねえ!!

彼らが言うには車輌がガードレールを擦ると隙間にボディが挟まりそのまま引っ張ると鋭利な形で誇るそうです? ナワケ無いだろう?

専門家の専門がなんだか知らないけれど残置されている鉄板の映像を見れば塗装されていないモノが殆どです。 塗装していない車両が道路を走っているわけ?

もしそれが車輌の鉄板だったら、調べれば鉄鋼メーカーから解るし・・・

彼らは恥ずかしくないんだろうか?知ったかぶりをメディアで公表するって?

ここの所、スゴクそれを感じています。

福知山線の脱線事故の速報から以後、解説/専門家がモノスゴイことを言うのが・・・・前から胡散臭いとは思っていたんです。 それが自分が趣味で少しは理屈で知っている(鉄道)事を、驚くほどいい加減な解説をしているのを見て、 ただ関心していました。

レッサーパンダが立ったって言うニュースの時なんか?専門家は立てるわけがないって解説したんですよ。 驚くよね、後ろ足見れば立てるって解るだろに・・・・・ とうとう歩くレッサーまで現れて?

これってメディア側が面白可笑しくストーリーを作ってからこじつけで専門家を作っているって思いません?

福知山線事故でATCとATSの区別や鉄道車輌の制動時の空走距離、運行と標識の関係を説明しない専門家? だって福知山線事故は脱線事故ではなくて速度超過事故による転覆でしょ・・・・ JR西だって事故調だって速度超過による転覆事故って名称を変えないと・・・  速度超過で脱線するためにはなんて意味のないことを調査することになちゃうと思いませんか?

あっつ 気が付きました?そもそも脱線の意味が専門家って言う人が理解していないんです。

レッサーパンダに至っては コメントを出したのは 専門家じゃないでしょう。

おそらくメディアの想像ですよ、専門家って紹介された人って普段はテレビ局の掃除とかしているオジサンに背広着せて台本読ませたんですよ。 だってレッサーパンダって歩くよりも後ろ足でしゃがんで前足で餌を食べるのが似ているからパンダって言うんじゃないの?

ああ 書き出しは ガードレールだったけ!!

これも2,000カ所とか言っていて 大変だー ってなってるけれど? 全国にガードレールの継ぎ目ってどれくらい有るか・・・

たしかにガードレールって走行方向に対して継ぎ目を考慮しているのかな?って思うけれど?元々はその内側の保護だからねえ!

継ぎ目が捲れていてアブなナアって言うヤツは記憶にあるけれど・・・鉄片は知らないなあ・・・・・

原因・結果がチョット知りたい かなあ

蒸気機関車撮影行の始まり2005年06月05日 09時43分01秒

初めて持ったカメラはフジカハーフというカメラでコレは叔父さんから貰ったものと認識しています。
フジフィルム製のハーフカメラで改めてみると結構良いデザインだなあって思っていました。
そのカメラは何故か中身が見たくてバラバラにしてしまい当然ですが元には戻せませんでした。
まだジャンク入れにネジとかギアとかが有るかもしれません。
最近になってNETのオークションに時々出ていることを知って・・・購入してみました。
今あるのは三田の方が出品したモノでソノ人も叔父にもらったカメラだそうです。
巻き上げレバーが少し変でしたが今は完調で・・とは言ってもフィルムを入れて写真を撮ることは有りませんが!シャッターや絞りAOUTの機能も大丈夫みたいです。
小学生の時にこのカメラで笠岡停車中の急行安芸の車中から井笠の軽便車輌を写した記憶が有ります。
不思議なのは、この当時に叔母の家が広島の向洋にありソコに良く泊まっていたのですが呉線の蒸気機関車の写真を撮った記憶が無いのです。
母方の田舎も西条でココにもEF59や本線を糸崎の蒸気機関車が普通列車を引く運用や昼行山陽特急や急行なんてイッパイ走っていたのに?
考えてみればソコにC62やC59が走っていてもそれはただの田舎の汽車って認識しか無かったんです。
私の場合、蒸気機関車は呉線の列車と山陽本線で田舎に行く時に急行安芸に乗るという具合です。
中学生になって鉄道という趣味のジャンルが有ると知って、そして学校の帰りに寄り道して蒸気機関車を見に行くようになって。
当時は板橋でD51が入れ替えをしていたし。大宮には9600上野で成田線のC57そうそう今の西日暮里の辺りの何時もC57がいたんです。
両国まで行けば総武線のC57やC58が何時もいて・・・でもコレが不思議なんですが見に行ってたんです?写真を撮りにではなく?
初めての撮影行がたぶん銚子だと思うのですが?
結局は最後まで蒸気機関車牽引の列車に乗っていればそれでヨシとしてしまう中学生の撮影行的は旅行しか出来なかったのは、この時の経験からでしょうか?

書き始めて思い出す事に?その当時もフジカハーフは持っていたんですから・・・もしかしてネガが無いのかなあ・・・・  探してみよう?

常連会から?2005年06月08日 09時32分45秒

6月5日 城福寺YHの常連会がありました。
辻さんと隆章入道の上京にあわせ9名ほど集まりました。
会場の新宿ぼでごん亭?・・現地に行ってから鮮やかに思い出しました。
うん 確かに 来たこと有る!!
記憶っていいかげんですよね!!
当日は入道は我が家泊で翌日・・・・

いつまで経っても起きて来ない?10時近くになって事務所に現れ栃木に行きたいって

乗り換えだとか切符だとか説明してもらちがあかない・・・

面倒なので今市まで送ることに・・・
目的の尋ね人?に送り届けて帰る積もりだったのですが?
私の分も宿を手配してあるとのことで 1泊 となりました。

夜に倉敷から入道にお仕事?の連絡?

あわてて翌朝、今市から宇都宮乗り換えで返すことに・・

さて・・・ユックリ帰るか・・・と東北道へ

実際は入道の新幹線より速く高松町の出口は出たのですが?
まあ そこから乗り換えて東京駅へ行けばタブン遅くなったろうなあ?
と言う具合で・・・・・

時間も中途半端だったので車のカップホルダーを修理にaudiへついでに点検して貰って帰ろうとすると なんとタイヤにネジが・・・
小川タイヤに寄って修理して・・事務所に帰ると・・通夜の連絡

それで 休んだ分を愚痴で報告です。

高崎に行ったっけ?2005年06月11日 11時51分21秒

事情も時期も覚えていませんが高崎に撮影行に行ったハズです。
なぜ?高崎だったか解らないのし1日いて高崎のヤードをうろついて帰ってきたはずです。
当時の高崎第一機関区へ見学届けを出して。
所が写真が無いのです?大きな扇形庫や給炭装置が有ったはずだしかなりの量数のD51がいたはずなのに?
唯一覚えているのは、入れ替えのC11に乗せて貰って広い構内を行ったり来たりしたこと高崎第2機関区のEL群の中を歩き回ったこと・・・倉賀野駅まで歩いて八高線で帰った事くらいかなあ?
それにしても写真が無いなあ? 記憶もないけどネ
でも?どうして高崎だったんだろう? ・・・・
両毛線の70系が赤と黄色の塗り分けで編成の片側は元サロ改造のクハが多くって珍しかった・・かなあ
何時のことだったんだろうか?  でもカメラがエルモだから?中学1年くらいかなあ
もしかして?休みの日カナにかで上野から列車に乗ったら高崎まで行っちゃったのかな?まさか そんなこと無いハズだけど?
その頃なら蒸気機関車を見に行くなら佐倉の方が良いし・・・
今、考えると・確かに 不思議だ

美味しかったもの?2005年06月12日 11時37分08秒

世間一般の方?に比べれば確かに少しは色々な所へは出掛けているし?
食べ物も経験している様なのですが?

本人はそれほどとは思っていないんです。
ただ、回りから見るとあっちこっち遊び歩いているように見えるらしくて?
何処へ行ったら旨い物があるかとか聞かれるわけです。

蒸気機関車が好きでウロウロしていた頃ってまともな食事ってしていないんです。
パンと水とかネ・・・駅弁ってモノスゴイ贅沢な食事で・・・

めはりずし

これは旨い物はって聞かれると必ず答えるのですが?
初めて知ったのは渋谷の東横の何とかフェアってご当地フェアで買ったんです。
たしか?渋谷でイベント(渋谷公会堂)だったかな?その時に食事が無くって通り道に買ったんです。
旨かった・確かに旨かった 
ただのお握りに菜っぱが巻いてあるだけなんですが? 

駅弁とか郷土料理なんかでも有ります。 ただ?最近のモノは上品すぎて感動が少ない。

大きなお握りに葉っぱ巻いただけのが美味しい・・・

糸崎のテンプラッソバ

山陽本線糸崎駅のホームで売っているソバです。
かつて糸崎には機関区が有って機関車の付け替えで停車が長かったんです。
停車中に薬缶を持った叔父さんが「テンプラッソバ」って叫びながらホームをウロチョロしているんです。

思い返すと今は駅に行くと立ち食い蕎麦って結構あるけれど当時はあまり記憶がないんですが?

取りあえずこの糸崎のテンプラッソバって言うのが不思議な食べ物で??

出汁は讃岐うどん風!蕎麦は中華麺に近い!天ぷらは殆どせんべい と言うモノです。
ぺらぺらのプラのドンブリにそれらが入っていて注文を受けると薬缶からジャアーっと出汁を注いで・・・

しかし これが 旨い 

数年前に今まで食べたモノでもう一度食べたいものって質問に・・・
数日考えた末に出した結論が コレ  糸崎のテンプラッソバ  

噂では三原市内にその店が現存していてまだあのソバがあるとの事ですが?確認していません。

他には・・ないなあ  大森の廃屋の庭の夏みかんったってあの状況でなければ旨いとは思わないって

・・・・・やっぱり・・糸崎のテンプラッソバ・・・だ・・なあ・・・

カツ丼の話2005年06月14日 08時31分07秒

旨い物の話の続きです。
カツ丼という食べ物があります。
まあ 基本的にはトンカツから話さなければイケナイのですが?

このトンカツって食べ物が・・・・不味いのも タマには有りますが トンカツ屋って店を出している所は大体食べられる?とんでもなく旨いッ っていう店も有りますが?店を出しているってことは揚げたてを喰わすわけだから・・・・そんなモノでしょう!

所がこれがカツ丼になると話が変わる!

トンカツの旨さや肉の良さがカツ丼の旨さにはならないんです。

人通りもない長閑な駅前の汚い食堂で何時?揚げたか解らないような脂身だらけの薄いカツをとじたカツ丼が意外と旨いって感じたり?

まあ、そう言う場所ってこっちのコンディションにもよるけど・・タイガイ旨い?
ってことは味なんか空腹時には関係ない?のかな?

暖かいっていうのがタダ旨いって感じるのかなあ?

カツ丼は割り下とタマネギと衣と卵で決まるんだと思うんです。
だから高級トンカツ屋のカツ丼はクドイんじゃないかなあ?

で この玉子綴じタイプをカツ丼だと思っていると大変な間違いで世の中にはいろんな食い物があるっていうのの見本みたいな話になる。

埼玉の奥の方、まあ寄居とか熊谷って八高線の沿線部に行ってカツ丼って言うと丼にご飯キャベツの千切り、で薄いトンカツにフタって構成で出てくる?
このカツ丼は食るのがムズカシイ!

まずフタを置く、カツとキャベツをフタに移す。 この様子を眺めてみて下さい?
カツライスになるんです。 食べ方? カツライスってワケでソースをカツに掛けて食べるんです。

その他にはソースカツ丼と言うモノがあります。
最近、中央高速などのサービスエリアやファミリーレストランによくあるタイプです。
丼に普通のトンカツと申し訳のキャベツが乗っていてトンカツソースが掛けてある?
このタイプは最近の企画モノじゃないかと思うんです?
何故か?って よく言う駅前食堂なんかでは見たことが無いんです?
寄居のカツ丼の手抜きみたいなモノで でもあのカツ丼はフタが必須なんです。
だから最近増殖中のソースカツ丼とは基本的に違うんです。
それで?それがソースカツ丼かって言うとそれとは全く別のモノでカツ丼が有るんです。

では続きはソースカツ丼で・・・・・

福井ヨーロッパ軒のソースカツ丼2005年06月15日 10時21分29秒

これは25年位前の話なんですが?
当時は出張の多い仕事をしていて地方都市に3ヶ月くらいのスパンで行っていたんです。
3ヶ月位って言うとアパートを借りるのも難しいし旅館や民宿も結構大変なんです。
普通は旅館や民宿って1~2泊が基準で食事のパターンが決まっているんです。
だから2週間も住んでいると料理を出す方も困ってしまうし民宿って結構、休みって有るんです。
普通は予約を取らなければ良いのですが・・・・住んでる?人が居るとそう言うわけには行かないわけで?
福井県の敦賀と言う町にいた時の事です。
旅館の親父が「今日の晩ご飯・出前で良いか?」って聞くんです。
そりゃあ また変わってるナアって思ったんですが?
良くあるパターンはお金をくれて(ナイショで返金)外食してきてっていうのが基本なんです?

さて・・食堂に行くとフタのしてあるドンブリが置いてあるんです。

お茶とみそ汁をよそってフタを開けて ビックリ・・・・

ご飯の上に薄っぺらいカツが3枚、乗っているだけなんです。
なんだあ これ? 正直いって驚きました。
トコロが・・・驚きは 食べてみてのほうが 凄かったんです。
う 旨い・・・ な なんんだあ~

目から鱗?ってヤツですか・・・

このカツ丼のカツは薄くてパン粉も細かい!ソースはサッパリしていて・・ふわっと香るソースの香りも十分味の内です。

本店は福井市内に有ります。
県内には結構、暖簾分けのお店が有ります。
私の場合は数年毎に、この本店に出掛けています。

福井までの交通費を掛けても食べたくなる不思議な食べ物です。

ソースカツ丼 続き2005年06月16日 14時28分19秒

ソースカツ丼は東京の早稲田が発祥の地だと言うことです。
評判を取り横須賀にも出店していたそうで。
関東大震災で早稲田の店を止めて福井に戻り今のヨーロッパ軒が有るそうです。
横須賀にもソースカツ丼が残っているようですが?
このソースカツ丼がヨーロッパ軒の流れなのかは解りません?
以前に横須賀の知人にご馳走になったモノは別の食べ物でした。
最近流行のタイプに近かったと思います。
その店がヨーロッパ軒と関係有るかも解りませんし?
また、横須賀の何処かにヨーロッパ軒風のカツ丼が存在しているかもしれませんし。
何れにしても遙々交通費を負担して650円のカツ丼を食べに行くって・・・・
福井の本店に大阪から毎月通ってくる人もいるそうで?

確かに旨いんですが、その味の特徴は薄く脂身のないカツと細かなパン粉そして特徴のあるサッパリしたソースで出来ています。
そしてフタを取った時のソースの香りが良いんです。
このカツ丼に使用しているソースの原液は大阪のイカリソースで作っているんです。
尤も最終的な味付けや香り付けはヨーロッパ軒で行っているという説明ですが・・・・
出掛けるたびに買って帰るのですが、熱々の揚げ物(やはりトンカツ)に暖めたこのソースがとても美味しいのです。

客車の話2005年06月19日 12時41分50秒

16歳位から汽車を見に行くのを目的に旅行をするようになりました。
当時は今のJRとは違って営業用の客車列車に戦前の客車も普通に連結されていて走っていましたし、

スハ32と言う客車
スハ32と言う型式の客車が走っていました。
この客車は前期タイプがモニター屋根のダブルルーフと呼ばれるモノで、チョット憧れていました。
当時はまだ地方線の一部に残っていると言う情報も有りましたが実車に乗ったことも見たことも残念ながら有りません。
私にとっては中央線の客車列車が身近な編成でした。
新宿からEF13牽引の甲府行き普通列車にはこのスハ32の丸屋根タイプが多く連結されていました。
1BOXに窓が2コ、シルとヘッダーにはリベットが並び木製のブラインドがすてきな車輌でした。車内のニス塗りと電球の柔らかい光がとてもステキでした。
昼と3時過ぎ位に甲府行きが有ったと思うのですが?試験中の学校帰りに新宿駅から高尾まで乗って高尾山で勉強?したっけ。
冬になるとEF13には客車用暖房装置がないので暖房車?マヌが連結されていました。
B6(2120/明治の機関車)のボイラーを積んだ客車に暖房用の蒸気を供給するための車輌がです。
新宿駅のホームに石炭の燃える蒸気機関車と同じ煙が流れていて・・・考えてみれば各駅停車の列車1編成を運行するのに機関士/助士と暖房車の乗務員?に車掌 最低5人は乗務していたわけで今では考えられないことですよね!
スハ32系は他の線区ではあまり記憶に有りません?呉線の写真に狭窓の客車が写っていますが、他では記憶に無いなあ・・・・・