新宿発長野行き(スハ32)2005年06月20日 09時41分24秒

新宿発長野行き、昼行の普通列車も数本走っていましたが思い出が有るのは23時55分です。
これは山好きな仲間がよく使っていて時々、送りに行ったり、山行に付きあったりしたのでちょくちょくお世話になりました。
立川以遠の最終になるこの列車の利用客は飲み過ぎたサラリーマン風の人達と山登り(ワンダーフォーゲル風が多い)が殆どでした。
その中に横田とか立川近辺の米軍関係の夜遊びグループが混じっていました。
よく乗っていたので顔見知りになったのが黒人と白人の女の子でどっちかがナンシーという名前でした。
ナンシー達は六本木のディスコで遊んでの帰りで土曜の夜はタイガイ乗って来ました。
電球の薄暗い照明、落ち着いた木目、古い客車、満員の山屋。
そこにディスコ帰りのアメリカ人の女の子ですから目立ってましたよねえ、その子達が僕らを見つけると「ハアーイ」とか言ってホームで一騒ぎして混雑している車内をかき分けて乗り込んでくるのです・・・下車する立川でまた大騒ぎで別れました。
まあ・・彼女らが下車した後はチョット恥ずかしかったかなあ?

初雁は冬だと真っ暗っだったかな?
何時だったか切符も買わずに乗っていて空が少し明るくなり始めた頃のスイッチバックの駅で止まった時、デッキから降りて歩いた事があったなあ?
スゴイ霧の朝で・・・少しずつ明るくなっていく線路脇から牧草地のような所を・・・その後?どうしたのかも?何処へ行ったのかも記憶にないけれど?
霧の中でEF13の汽笛が聞こえ遠ざかるジョイントの通過音が鳥の声と重なって・・・

EF13とマヌの煙、ナンシー達の笑い声に早朝の高原の霧・遠ざかっていく列車の音、
スハ32のイメージかなあ・・・・
学校帰りの新宿駅でマヌの中を覗いたり発車まで車内に座っていたり・・・・
まあ 記憶には残っていても写真は無いんです。

続 客車の話 スハ44と言う客車2005年06月21日 15時24分17秒

スハ44と言う客車は特急用の座席車として登場した車輌です。
東海道の「つばめ」「はと」でデビューし後に「かもめ」や「はつかり」に使用されていました。
私が興味を持ち始めた頃は姫路行きの「銀河2号」で使用されていました。
片デッキで座席毎の窓と転換シートの客車で元の特急専用車両という憧れもあり、良く出掛けた東京駅の寝台急行群の中でも一際目立っていました。
一度だけですが「銀河2号」のスハ44に大阪迄乗ったことがあります。
最後尾のスハフ43-1は覚えていますが自分の乗った車輌は覚えていません。
当時はホームに掛かった「銀河2号姫路行き普通自由席」と言う札の所に夕方から並んで席を取りました。
今、考えると?新幹線に乗れば楽に大阪に着く時間から可成りの人数が並んでいたと思います。
その日、発車の10分ぐらい前にインド人?(英語だったからナア)が並んでいる列の前に割り込んできました。並んでいると言っても解らない振りをするので駅員に注意するように行ったのですが駅員も英語が使えず。平気な顔のインド人(タブン)に5時間前から並んでいるのだからルールを守れと文句を言いました。
みんなのクレームや駅員の注意にも動じなかった彼に「5時間前から並んでいる」と私が割り込んで言うと驚いて列の後ろに移動しました。
乗り込むと車内は蛍光灯で明るかったと思うのですが座席は前向きで傾斜は付いていても固定のシートで結構疲れたと思います。
明るくなった関ヶ原の登りを、明らかに速度の落ちたEF58の牽引で汽笛を聞きながら・・・と言うのがスハ44かなあ?・・・・
そうだ、夜遅くに島根の城福寺から眺めると夜行の「さんべ3号」がよく見えたのですが!編成の中程に1輌だけスゴク明るい客車が連結されていました。
何時だったか覚えていませんが下関に向かうためにその「さんべ3号」をホームで待っていると、指定席(照明の明るい車輌)がスハ44でした。
こんな所にいたのかって驚いた記憶があります。
その頃は既に「銀河」の座席車も無くなっていたし・・・
オマケですが「さんべ3号」にはオロハネ10という車輌も連結されていました。
半分A寝台・半分B寝台で出入り口が車体の真ん中に有ると言う??
先日、松江から小倉まで山陰本線に乗る機会が有りましたが?昼過ぎに松江を出て5時間くらいで夕方には小倉に着いちゃうんです。
昔は寝台急行が走っていたんですよねえ 不思議だ

ブログについて2005年06月22日 14時37分08秒

ブログって独り言みたいなモノと解釈しています。
掲示版は投稿者同士の遣り取りで話し合い的な展開、ブログは意見や反論を無視して個人の日記の様に進んでいるからです。
この考えで正しいのか?良く解りません。
たしかに旅日記みたいなモノを旅行中もリアルタイムでUPするにはブログも良いかなあ?
まあ・・これも どうせ見ている人って決まってるし 他人?は見ていないと思うから?
しばらくは、 このまま 続けてみようっと

東京駅10時発 富士行きと80系2005年06月23日 18時13分11秒

東海道本線の普通列車で東京駅を 朝10時00分発の富士行きがありました。
この列車は湘南電車(80系)の運用でした。
10輌だったか長い編成で中間にサハ85が連結されていました。
当時既に東海道東京口に乗り入れてくる80系はこの列車だけでした。
昼行で西に行く時にはコレを利用しました。
旧2等車のサハ85だと椅子もフカフカだし間隔も広くってとてもラクチンでした。
何となく遠くにイクゾウって感じになったモンです。
たしか?終点の富士までは乗らずに沼津で途中下車して駅を出て商店街でお握りを買うんです。
今はコンビニ等でお握りって何処でも売っていますが、その頃ってお握り屋が珍しかったんだろうと思うんです。
駅に戻ると浜松行(豊橋?)きが待っていて・・・確か?このスジで行くと名古屋から「阿蘇」に乗れたはずです。
何回目かの時にクハ111-1に行き会った記憶が・・去年、中部天竜で再開しました。
既に80系はローカルも東海道からは殆ど消えていて?身延線とか飯田線との共通運用以外は111系だったと思います。

山陽路の80系2005年06月24日 15時56分11秒

一時期とても頻繁に広島へ通った事があります。
理由はご想像の通りです・・・・・・?
その頃はお金もありませんからイロイロなワザを駆使していました?時効でしょうか?
広島着が20時くらいで良いので山陽路は何時も普通列車でした。
当時の山陽本線ローカルは全て80系でした。6~8輌でまだ全面3枚窓の初期形も東急車輌製の角がない(丸い)顔のクハ86も走っていました。
珍しくも無かったので写真も撮りませんでしたが・・今になって あの時って思っています。
姫路までは153系新快速で岡山行きは80系・・クハ85を選んで乗ってましたねえ!
尾道辺りで夕日だったかなあ?
山陽新幹線も全通して特急も急行も少なくなっていましたが普通列車は山陽本線という感じで長い編成でした。
今から思うとホームだって手入れがされていたし・・・・
荷物列車のEF58・EF61や貨物のEF15・EF60も結構頻繁に走っていましたから・・飽きなかったけれど?・・・・・

71系と80-300系2005年06月29日 08時31分18秒

中央線から客車列車がなくなり始めた頃かなあ、でもまだ115系は珍しかったと思います。
急行「かいじ」は115系にサロを連結していたハズですから?
EF13の客車列車か70系のローカルが中央線のイメージです。
たしか?高尾の先でトイレに入って鍵を掛けようとしたらフック(鍵?)が取れた?
持って帰ったから何処かに有ると思うけれど?
その後でトイレに行ったオバサンは鍵が無いハズなのに平然としていたなあ?
早朝に新宿を71系で立って甲府まで・・・身延線の急行「富士川」に乗りに行きました。
この「富士川」は全て全金の300番台で揃えてあって全面に大きなヘッドサインを掲げていました。
車内も奇麗で清掃も行き届いていてローカル運用の80系とは又違った魅力がありました。
優等列車って言う意気込みみたいなモノが有ったんですかねえ?
車内販売も有ったと思いますよ?。
そうだ、中央線が71系の頃は普通列車にも笹子餅の車内販売が有ったっけ、いつ頃まで売っていたのかなあ?

Z200KⅠと言う単車2005年06月30日 10時40分18秒

川崎オートバイのZ200と言う単車に乗っていた時期があります。
198cc位の単気筒で18馬力の小さな自動二輪でした。
車の(デリカ)に詰める大きさが丁度良く、扱いやすい単車でしたが?そこは川崎製?
毎日(通勤に)乗っていても土日休みだと月曜にはエンジンが掛かりにくい?
ギアの変速時のショックが大きくて・・自動二輪なのにフロントがワイヤーで引っ張るディスク?・・・・
まあ・・それはそれで別の意味で楽しかったです。
コーナーの途中でギアを変えるとショックで後輪が横に飛びます?コワイから手前でギアを落とすわけ・・可成りの高回転のママ突っ込んでアクセルを全開にするとフレームが曲がる?力で押さえて曲がりきる、フッと力を抜く、フレームがグニョってよじれながら飛び出していく・・・
スゴク早く走っているって思うんですが?そうでもないんです?
フロントのストロークが結構あって?当時のオフロード車と一緒に林道とかに行ってもそこそこ走れちゃう?まあフロントのブレーキもオフロード並だったけど?
ただねえ?川崎だから・・・・200kmも走るとプラグがゆるんだりした。
それでも秋吉台とか秋田とか走ったなあ・・・・・汽車の話ばかりなので思い出しながら単車の話も・・・・