大森から石見銀山へ2005年07月17日 10時33分35秒

いつ頃だったか?良く覚えていないのですが「大森」と言っていた町を石見銀山と呼び始めた頃、劇的に大森が変わっていく瞬間が有りました。
今、思えば観光地として売り出す・・・と言う事を思いついた?そんな感じで町の雰囲気が変わっていきました。
当時はまだ三瓶があの辺りの大観光地で三瓶温泉の旅館街なども賑やかでしたから?
大田市が大森の価値?に気が付かずソコまで?力を入れなかったので辛うじてラシサは残っていました。
けれどその時点で私達にとっての大森は変わってしました。
羅漢寺の木村幽玄師が亡くなり大森を訪ねることもなくなりました。
銀山食堂も無くなり、大きな駐車場が出来て龍源寺間歩を掘り返し・・・
金儲けのためだけの売店が進出し・・・
石見銀山の何が世界遺産にふさわしいのか解っていない人達が寄って集ってその価値をメチャメチャしています。
世界遺産に向けて保存することが、新しい観光地を作ることとは違うと言うことをキチント住民も行政も文化庁も理解しないとイケナイと思います。
観光客を集めれば名前が広まり商売にしようと集まってくる人達がいれば経済効果ってのが出てくる?。
有名のなれば世界遺産に登録できる?でも
野放しにしていると彼らの営業努力が世界遺産登録の却下につながりそうなのです。
20年・・いや せめて10年前の状態なら間違いなく登録は可能だったでしょう?
歴史的な意味合いを見れば間違いなく西洋と東洋が一つの世界になったきっかけに大きな影響を作った銀山だからなあ、世界遺産なんですよ・・・・
海外では価値を理解している・・・でも国内じゃあねえ?
そこの所が大田市じゃムリだろうなあ?

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