鉄の鯨館2007年05月10日 08時30分55秒

呉の「鉄の鯨館」です。
なかなか面白いって・・・それよりも 金掛かってるナア
まず潜水艦を陸に上げちゃったって事も?
外部の塗装や据え付けの台・・・・
付属する建物の方は思いっきり簡易にって感じなんですが?
展示内容は良くできていますけれど・・・
戦後の機雷処理で旧海軍の掃海部隊の方々が招集され
民間人の待遇のママで掃海作業に従事し多くの犠牲を出したって事を・・
そうしてそれが国を守るための海上自衛隊になって行ったって・・・
そういう事をアピールしたいらしいのですが?
場所は最高ですよねえ・・・でも? 大和ミュージアムの向かいって?
倉橋島で「特殊潜航艇の碑」を見てきた後ってのも関係有るかなあ・・・
旧軍の物も含めて軍艦をカッコイイって見せるばかりではマズイなあ!

「鉄の鯨館」に双眼鏡が据え付けてあります。
その視点の先に護衛艦が1隻、停泊しています?
そこまで・・考えていたら・・  危険だなあ

呉と潜水艦2007年05月10日 08時47分57秒

大和ミュージアムの特別展でした!
とても見応えがありました。
日本に海軍が創設されて潜水艦が導入された経緯から
きちんと説明されていて資料もスバラシイ物でした。
その中で事故で沈没した潜水艦の艦長が残したメモはチョット驚く物でした。
天皇へ向けてお詫びから始まるこのメモは事故の分析と潜水艦の将兵は特に優秀な兵を必要とする続き、将兵の家族の後をお願いするって物でした。
大和の資料が何処かオモチャぽく感じてしまったのコッチを先に見てしまったせいかもしれません?
撮影禁止だったのでポスターです。

「嗚呼 特殊潜航艇」の碑2007年05月10日 09時08分05秒

倉橋島には旧海軍に関わる遺跡が色々残っています。
何れも島の端っこ? なかなか行きにくい場所にあります。
島を一周して音戸に戻る手前で道路脇の看板を見つけ寄ってみました。
この後で呉の大和ミュージアムの「呉と潜水艦」を見て「鉄の鯨館」へ行く訳ですが・・・・

この碑ってこれを作ってココに置きたかったって言うのが・・・
だって海に向けた自然石に「嗚呼 特殊潜航艇」ってだけ書いてあるんだもの

瀬戸内海にしては島影の遠い広い海が広がっています。
資料がこの神社の宮司さんの家に有るので見たい人は訪ねて下さいって!

桂浜ドック跡2007年05月10日 09時42分00秒

戦国時代この島を領していたのは多賀谷氏といって大内に属していました。
毛利の中国統一戦の中で小早川勢に攻められ滅亡しています。
倉橋が大きな島であることや秀吉の政策により造船によって初期明治まで繁栄しました。
江戸時代に作られた洋式乾式船梁ドックの遺跡も残っています。

山口線篠目峠2007年05月10日 15時46分03秒

汽車を見に行ったんじゃあ無いのか? って質問が・・・
この連休に山口行きとなったのは・・
何時ものH山君からの誘いに乗った訳で
倉橋島や呉は彼の帰郷のスケジュールに合わせての寄り道だったんです。
と言う訳で 順番に写真をUPしているとナカナカ進まないんですねえ。
まっ いつものことでそのうちにまた出掛けちゃうって言うことで・・
お待ちかねのC57を・・  今回の1発目 篠目峠です。

門司港駅2007年05月11日 11時10分36秒

前回ココに来たのは何時だったかなあ?
まだ、10系寝台付の普通列車とかが走っていた頃だなあ・・・
25年?いや もっと前だなあ・・・
その頃はこの駅の回りも忘れられた世界?見たいな?
たしか・・関門トンネルを歩いて渡ってココから気動車に乗ったんじゃあなかったかなあ?
街も随分キレイになって驚いてしまったけれど・・・
町中は古い大店なんかはかなり消えちゃっていますねえ!
それでも九州の鉄道博物館が出来たりレトロブームを上手いこと作ったし!
何よりもホボ原型のママにこの駅舎が使われているのはリッパだなあ!
僕らが旅行していた頃は地方へ行けば古い駅舎っていっぱいあったけど?
今は大正から昭和初期の物は殆ど壊されてしまったなあ・・・
ココぐらいリッパなら残れるけれど・・・・

門司港駅2007年05月11日 11時19分56秒

このホームに客車列車が止まっていて・・・
ワザワザここまで乗りに来たのかなあ?

この場所に立った時に あれっ? ココで写真を撮ったって記憶は鮮明に!
ネガを探せばその頃の写真が有るはずだなあ・・

門司港の焼きカレー2007年05月11日 11時31分09秒

H山君の説明によるとコレが門司港の名物だそうで!
なるほど! みなさん注文しているなあ・・・
味は・・カレーだなあ?
少しだけご飯が焼けて乾飯みたいなトコかなあ・・・アトは普通だなあ?

旧海軍の話しに触れて2007年05月12日 16時15分30秒

5月10日の「呉と潜水艦」になんと 担当学芸員 サイトウ さんと言う方からコメントを頂きました。

私が旧軍関係の博物館に意識して訪れるようになったのは以前にもかいたと思いますが、随分昔に周防大島を旅行中に偶然見つけた旧陸奥記念館の何とも重い雰囲気とその昔に知り合った一人の旧海軍の軍人さんの思いでからです。

陸奥記念館は車で移動中にこんなトコにと興味を持って・・
入り口まで行ってみたのですが人の気配が無くて・・・声をかけて?
やっと、係の方が出てきて開けてくれたのでした?

重かったなあ! チョット耐えられないくらい その話は再訪の時にもブログに書いたなあ?

さて、もう一つの話し、これも書いたかなあ?
サラリーマン時代に電話工事の会社に勤務していたのですが本社勤務の時に私の部署によく遊びに来る方がいました。(僕が責任者だったので?気安かったかなあ)

別の通信工事会社をたしか部長で退職されてその会社に来られた方でした。
何か役職が有るワケでもなくお茶を飲んで座っているお爺さんで?やる仕事もコレってないのです。
話し相手になってあげたら時々?時間つぶしに来るようになりました。

初めは飛行機の話でした?・・・旧海軍の軍人さんだったと知って、スタッフが”大和の沖縄特攻”の話しになりました・・・・
ニコニコ話していたその方の表情が突然きりっとして
話し出した内容にとても驚いてしまったのです!

その日、夜遅く突然その方が居た基地に”高級将校?”が数人で車を乗り付けて彼に命令したそうです。
「ダイハツを出せ!」って・・本来は上級部署の命令が必要な行為だったのに自分の判断でコレは尋常ではないとその将校達の命令に従ったそうです。

用意を調えて乗船しても海は真っ暗で何も見えなかったとの事・・・・
彼は疑問は持ちつつ指示された方向へ船を走らせました。
しばらく走っていくと突然、探照灯に照らされて目がくらんだで・・・・

「そこに 戦艦大和 が有った」そうです。

指示を受けて接舷すると梯子が下ろされ彼らは次々に乗艦していき・・
最後の将校が梯子に足を掛けた時に「ご苦労!」って、そうしてしばらく待つように指示して乗艦したそうです。
待っていると水兵がサントリーのウイスキーを1瓶持って降りてきて「閣下からです」といったとか?
ココまで話した時に少し目頭が熱くなっていました。
私が「そのウイスキーどうしたんですか?」と聞くと・・・・
「ウン・飲んじゃった!」って元の穏やかなお爺さんになっていました。

私も会社を変わりその方も亡くなったそうで・・
これ以上の詳しいことは判りません・・・ 
これが沖縄へ向けて移動中の大和だったのか他の時だったのか?

でもその穏やかなお爺さんが・・・
「大和は護衛無しの無謀な特攻に向かったんじゃあない・・護衛の航空機は九州各地に待機していたんだ! あの時、天候が荒れて飛べなかったんだ」って
そうして「出来るなら自分も行くつもりだった」って 言ったんですねえ!

九州鉄道記念館のEF102007年05月14日 10時17分18秒

EF10という機関車です。
最初、関門トンネルは直流電化でこの型の機関車が走っていたそうです。
僕らにとっては山手貨物線などでEF15より少し高い音(だったと思う)がすると、このEF10が貨物を牽引していたって記憶が?
東京の鉄道少年にはこのデッキ付の電気機関車は撮影の対象では無かったなあ?
EF10.11.12.13.15って後で知ったのは・・他の地方の方には大変珍しいって?
今になると・・ハッキリ言えないのですがEF10.11とEF12・EF13は音で判別出来たなあ!
EF15はハズレって感じだったかなあ?

でもキレイにしてもらって展示されているには良かったねえ・・・