加津佐にて2008年04月03日 08時52分46秒

加津佐駅手前の海に突き出した半島状の岩山の上・・
えっ ええ~ あそこに上るの!
エライこっちゃ・・ ものすごく急な階段も手すりも崩れそうな遊歩道?をゼイゼイ言って登ります。
途中で一緒になったおじさんと先を譲り合いながら・・・
頂上には既に数人の先客が、綺麗な景色ですねえ!
僕らがSet終わると後から後から登ってくる。
挨拶から自然に話が弾んでいって良い雰囲気・・・
時間があるから軽く昼飯でもって皆が持参の軽食を食べながら・・・
と 食料や鞄を置いているコンクリートのテーブルの上に靴のまま上がって三脚を伸ばし始めるヤツが!
オイオイそこに上がるのはマズイよって注意される。
あれ? さっき前に移動しろって言って来たヤツだ?
町の方からテーブルに上がって撮影したりするのはやめてほしいと要望が出ているようでその事を説明されても不機嫌に乗ったまま三脚を畳んでいる?
椅子に乗るなら靴脱げって怒ってしまった!
僕が言った後もぐずぐずしている、横にいたおとなしそうなおじさんも同じく怒ったら!
今度は切れて怒鳴りだした!
なんだい! 僕の時の怒れば相手をしたのに?
その後、他の人は楽しくお話ししながら汽車を待っていますが、一人不機嫌に?
遊びで撮影に来ているのだからなんで楽しくできないかなあ?
そう言えば遙か下の線路敷に入り込んでカメラを用意している人がいる・・・
あそこに入ると・・警笛? もしかすると非常停止かなあ?

古部駅から山口へ2008年04月03日 08時56分42秒

今日の予定は山口まで
加津佐からだと昼過ぎの島鉄に乗らないといけません?

夢怪さんが古部駅まで送ってくれるって事で移動!
昨日とは構図を変えて数本撮影後、諫早行きに・・・

諫早駅で・・ そうだ昼飯を食べていない  で
駅前の食堂に・・  おお安いなあ!
せっかくだから皿うどんを・・ 麺を揚げる音が聞こえる・・
スバラシイ さすがだなあ こうでなくちゃあイケナイ!

今回は”白いカモメ”だけど普通指定席・・
結構混んでいますねえ!椅子は確かに良いけれど・・・
狭いなあ? なんかキツイ感じがしましたねえ!
新幹線の普通席が妙に広く感じたなあ!
親方と松ちゃんが新山口に・・”はやぶさ・富士”の入線を待ちます。
あれ?上りも下りも”富士”が後ろ?そおかあ”はやぶさ”のテールは見えないんだ?

島原訪問記2008年04月03日 10時31分44秒

島原は遠いなあと思っていた。
だから島原鉄道南目線の廃線前にって誘われていたけれど・・・
あまり乗り気ではなかったんです。
ところが長崎行きの”あかつき”が廃止になり九州寝台特急も”はやぶさ・富士”だけになってしまって。
せっかくだから山口行きに”はやぶさ”をリザーブしようと・・あれ?
そのまま乗って行けば・・・島原鉄道も行けるなあ?
 と言う訳で色々調べ始めました。

そうして あっ 口之津かあ! 

実は決定したのはココの資料館を知ったからです。
おそらく、廃線後に、かの地まで行くって・・無いだろうなあ?
原城跡も訪ねて見たい場所でしたが・・口之津って興味が有るでしょう!
江戸末期から明治中頃までの日本? 不思議な場所って結構あるんですよ!
石見銀山がただの過疎地になっていたように・・・
この国の各地に産業遺跡って言うか・・
明治中期にはその役目を終えてしまった遺跡って結構なパワーを感じます。
結果は! そりゃあ行って良かったなあ・・
今回は前半が鉄道利用の為にゆっくり出来なかったから?
まあ 行っていなかったら 絶対に訪れる事は無かったなあ!
でも 行ったから再訪をって思う訳ですねえ・・・・

島原鉄道・・ 土地の人たちが大事にしているのが解るなあ。
廃線に対して反対運動が無いってのが凄いねえ!
みなさんが「ありがとう・ごくろうさま」って?
鹿島の時みたいな浮いた感じとは別で・・・
鉄道が維持出来ないのを理解しているような?不思議な感じ?
沿線の方々がみなさんカメラ片手に自分の記念に写真を撮している。
遠来の撮影者にも優しく接して頂いて・・ 良い所だなあ!

口之津駅で会ったおばさんは満州から引き上げて来た時の加津佐の美しさを話てくれて島鉄にはお世話になった・・まっ 多くの人が遠くから撮しに来るから思いついて自分も撮しておこうってのが面白いなあ。

今回、旅程の都合で諫早~口之津間をバスで移動しましたが料金1550円って距離から考えれば高いんだろうなあ?
しかし、利用率からすれば島原半島全域の交通機関を島原鉄道って私鉄が支えているのは考えてみりゃあたいしたもんだ!
その辺りが、鉄道廃線時に起こりがちな採算無視の存続運動が起こらない理由なんだろうなあ?

島原で ここは一号機関車が走っていた線路なんだ・・ と 何人かに聞いたけど

一号機関車の側面に取り付けられた”惜別感無量”のプレートの会社名が”島鉄”ってなっていてなぜ”島原鉄道”って入れなかったのかなあって思っていたが?
土地の方と話して納得出来たような・・・
また、鉄道記念物に指定されて原型への修復後もこのプレートが付いたままという気概というか?
災害後に大変な補助金を受けて再開した部分をスッパリ廃線にしてしまう経営の強かさを感じますねえ!

遠いけれど口之津の海の資料館や島原半島の先っぽ、かの地に鉄道は無くなったけれど出掛けてみる価値は有るなあ。

今後は観光客誘致にしても島原鉄道で販売している一日フリー切符を2日間有効とかにして泊まりがけで来る観光客への工夫が有ると良いかなあ?
実際に今回の旅程で2枚(3000×2)全部で8千円くらい払ったかなあ!

何時の日か再訪するそんな気がする口之津の風景だったなあ?