新幹線は速いなあ!2008年05月12日 11時49分12秒


新大阪から”のぞみ”で深夜に帰宅?
新幹線は速いなあ・・・車窓の景色が・・
力行中の振動が・・・早いなあ
連休前半に新宿から”ムーンライトえちご”に乗車
新津までG席で・・寝台以外の夜行なんてずいぶん乗っていない?
車両の整備も悪くMGやコンプレッサーの振動がスゴイ!
タイヤのフラットも出ていて・・・・
だいたい改造とは言えMG搭載の先頭車をG車にするっておかしいだろう!
これじゃあ 寝られないねえ!
一休みの後、”サンライズ出雲”こちらはシングルをリザーブしたのに・・
M車?だめだこりゃあ T車は凄く静かだったのに揺れること?
いずれにしても・・新幹線は速い!

ムーンライトえちご2008年05月13日 10時32分19秒

新宿を23:10に出て新潟へ向かう夜行列車が有ります。
今は国鉄時代の特急型車両を使用しています。
座席で夜行に乗るのは会社員時代に急行”つがる”に乗って以来だから・・・
その頃の”つがる”は14系座席車だった・・まあ 同じかなあ!
そこで今回はG席を・・・
ところが乗ってみたら先頭車の半室を改造してある・・・
普通車とは簡易な仕切壁? しかも先頭車両なので機器の音もうるさい!
椅子だけがG車の物で出入りも普通車内を通る?
うーん? これは・・・ ちょっと頂けないなあ!
しかも当日の車両は車輪に盛大なフラット!
物凄い騒音・・ よっぽど普通車の空き席に移ろうかと思った?

と言うわけで今年の連休は磐越西線へ撮影行でスタートです。
しばらくお休みしていたブログは何時もの様に報告記となりますが?
なにせ・・ 長い しばらくお付き合いを・・

写真は高崎駅で上野発の急行”能登”に追い越される”えちご”です。
快速と急行・・確かに489の方が良いなあ・・・

古龍への道2008年05月13日 13時38分26秒

石見銀山として世界遺産に指定された地域内に古龍と呼ばれる入り江があります。
初期の頃の銀鉱石の積出港の一つと伝わっています。
古文書等にも”古龍千軒”の記述があり鞆ヶ浦から始まる海上輸送の基地として温泉津開発以前に最盛期を迎えた場所と聞いています。
この場所へは海からしか行くことは出来ないと聞いていたのですが昨年始まった鞆の遊船で訪問する夢はかないました。

ところが土地の方から歩いても行けるとのお話が!
連休に出かけてみました。

馬路から神畑へ通じる林道へ車を止めて尾根道へ、しばらく行くと古道と認められる場所へ出ます。
昭和30年代まで古龍に人家は有ったとの話ですが既に竹林状態で当時の生活道路は通行できません。

古道が登り切った場所、尾根道との合流地点に井戸が・・・
この辺りに人家の跡が見られます。

尾根道を進むと別の道跡が有るのですが通行は出来ません。
綴れ折りの間道らしき道を降りていき数件の人家跡の辺りから”古龍千軒”と言われた面影が感じられます。

おそらくはそこまでが当時の入り江と思われる辺りからは植生も変わり砂浜が近づくとハングル文字のゴミの山が現れます。
風に吹き上げられて思わぬ位置までハングル文字が識別できるゴミの山です。

これは、島根県や大田市も清掃作業をしないとなあ!
ここも世界遺産の指定地内ですから。

写真を写してユネスコの会議で石見銀山とその周辺がハングル語圏からのゴミに犯されているって報告すべきだと思いませんか?
もし、これが日本語のゴミが半島に流れて着いていたらどんな騒ぎになるかなあ?

その先まで行くとゴミは無くなり静かな砂浜にたどり着きます。
この湾、全体を古龍と呼ぶのか奥の集落跡が古龍なのかこの辺の知識は大森の羅漢寺の和尚から得た僕の知識では解りません?
70年代に大森で木村幽玄師より聞いた場所にやっと立つことが出来ました。

鞆ヶ浦より仙の峰を目指し・・商業開発に成功の後は手狭な鞆の側、古龍という場所より鉱石を輸出した。
古龍千軒と言われたいそう繁栄した港も大内氏から毛利氏に変わり衰退していった。

今、石見銀山は僕らが遊んでいた大森銀山とは違う場所のようになっています。
けれど間違いなくあの大森が今の石見銀山なんだなあ・・・ 不思議だ!

磐越西線訪問2008年05月14日 08時35分33秒

まだ暗いうちに着いた新津駅には”トワイライト”停車中!
しばらくすると583の臨時も入線
以外と賑やかで面白い!
長躯、大阪から来ている親方を捜す? 
おお スバルサンブゥが新津駅前に!
新津機関区は早朝から自由に見学が可能でこりゃあ良いなあ
新山口や津和野ではこうはいかない!
出区風景や点検が間近に見られるのも良いなあ・・・
最初の一発目が決まらずウロウロ・・・
光線の悪い直線で決定(ビデオ向き)

三川の出発2008年05月14日 08時37分25秒

三川駅の出発は良い煙が上がります。
地形の関係か無風の時が多いなあ・・・
しかし
発車直前に線路を渡る大馬鹿モノが!
最近この手のヤツが多いと思いませんか?
この方・・ 後方に多くの撮影者がいるのを承知で直前に渡ったんです?
既にビデオを回しているので”入る~”って叫ぶ事も出来ません。
 確信犯だなあ・・
でもねえ 不思議なのは あそこからでは絵にならないハズ
だから今まで誰も入らなかったのだが?
茂みの向こうなら解る気がするが・・・・
どうしてアソコかなあ?

出雲大社本殿特別拝観2008年05月15日 09時09分30秒

十代の頃に蒸気機関車を撮影するのが目的で出かけるようになった石見地方。
当然、出雲周辺も遊び回ったのですが出雲大社も出かけた先です。
当時は国鉄大社線有りましたし一畑電鉄にも色々な思い出が・・・・

ユースホステルに泊まっていましたから、たまには誘われて出雲大社に?
数人の女の子と写っている記念写真も・・・・

考えてみれば大社周辺もずいぶん変わっています。
少し気味悪かった池の有った場所には大きなコンクリの建物が・・
大社横には博物館が・・・ そして駅舎は残ったけれど維持が危ない大社駅

そんな出雲大社の本殿の修復工事が行われるとの事で
神様を拝殿に移動して空き屋になった本殿の中を見る事が出来るそうで・・
連休の合間に出かけてみました。

朝8時半過ぎに到着すると前庭を半周程度かなあ・・思ったよりは少ないなあ!

受付前に係の方が並んでいる人の服装を上から下までなめるようにチェック
OUTの基準はサンダル・Gパン?これ以外はOK
困った事に田舎のおじさんの普段着というかポロシャツも襟があるからOKで
作業ズボンもGパンじゃあないからOK
ブランド物らしき高そうなGパンとか足がくるまれていないハイヒールはOUT
素敵なお姉さんが係のおじさんと戦っている?

9時まで待って受付開始です。
氏名・住所などを細かく記入して本殿へ
人数制限のため待たされます。

回廊の一辺に30人くらいずつ並ばされます。
階段下・右側・後ろ側・左側 30分程度待たされてやっと正面へ
中に入れるのかと思ったら廊下から覗くだけ・・・

僕は見たかった心御柱と八雲が見えたから良いけれど?
知らないで行った人はつまらなかったんじゃあないかなあ?
何もない? そりゃあ空き家を見に行ったわけだからなあ・・・
予想以上に八雲は綺麗だったなあ・・ でも 7つしか?無いんだなあ?
柱や板が縮尺を間違ったみたいで面白い!
Nゲージレイアウトに16番の小屋を置いたみたいだなあ?

もう一つ入り口横に有った龍の水盤が無かったなあ・・・
実は大昔に本殿前に立っていたら10人くらいの団体が本殿前庭に入っていく・・
で 僕も一緒に付いて行った事があって?
最後の人が不思議そうに振り返ったけれどニコって笑ったらそのままで
神職の人は人数を数えなかったから・・・・
その時に素敵な水盤が置いてあったんです。

連休中はスゴイ人だったらしい・・!
朝5時で長蛇の列・・ その中で何人が感動したかなあ・・・
90%以上の人が「これだけ」って思ったろうなあ?
なにせ空き家だからなあ
イメージは引っ越しの後の賃貸マンションみたいなモノですよ!

サンライズ出雲2008年05月16日 08時41分44秒

連休前半の磐越行きの後に一度、家に帰って?
翌日のサンライズで出雲行きです。
先に書いた”出雲大社本殿特別拝観”ってヤツに誘われて?
たぶん!早い時期に訪問しないと混むだろうって事で・・・
後半は汽車仲間と同行というわけで先の足は確保!
で”サンライズ”を
指定を取るときに全種類空いていましたが・・
うーん 前回はソロを 今回は・・・
遊び過ぎなのでデラックスは遠慮してシングルに・・・
これが失敗!
座席番号を見ると12号車? あれ? 指定席車?
モーター車の普通指定席車の端っこに寝台室が!
参ったなあ・・ 揺れるしうるさいし・・・
しかも夜中にトイレと間違ってドアをガチャガチャ
仕舞いには入って来るヤツが?
以前に乗ったソロは走っているのが解らないほど静かだったのに?
その上窓が普通の高さだからブラインドを開けておくとホームから丸見え!
勉強になったなあ
サンライズはソロ上段だねえ!ここならブラインドを開けて裸で寝ていてもOK!

大浦の火事2008年05月16日 08時45分53秒


連休中日、出雲大社の拝観後に山口へ向けて五十猛付近通過中に前方に煙が?
蒸気機関車が来た!とか不謹慎な事を言っていたら大浦で火事!
最初、和田珍味が燃えているのかと思った?

国道9号線のこの付近は迂回路が無いので通行止めになったら大変だ!
おそらく大都市に住んでいる人には理解出来ないと思うのだが・・・
ここで道路が通行止めになると大森(石見銀山)を経由しないと通れない?
救急車が来たってスゴイ距離を迂回しないと救急対応の出来る病院には行けない!
山陰自動車道って交通量からしたら不要って言われるし、作ったってお金払って乗るヤツはいないとか言われているがこういう時の9号線に迂回路が無い事をもっとアピールしないとイケナイ!
本当は山陰自動車道じゃあ無くて9号線のバイパス・・それも町を迂回するのでは無くて非常時の迂回路のための道なんだなあ!
たとえばこの区間が通行できなくなる。
大型のトレーラーが大田市から大森を回って仁摩へ・・・
ところが・・ 仁摩の交差点で曲がれない?
うーん道路行政って不思議だなあ!

美作スローライフ列車2008年05月19日 08時21分49秒

中国山地の山の中に津山と言う町があります。
イメージより遙かに大きな町で城跡も立派な石垣が残っています。
津山には機関庫があって今も扇形庫が残っている鉄道好きにとっては面白い場所です。
さて、津山駅から智頭駅まで実にユックリ走るイベント列車があります。
国鉄時代の急行用気動車の2輌編成で通常ならば1時間程度の距離を2時間半かけて走ります。
使用するる気動車のエンジンがDMH未更新と言う事で音を楽しむとの誘いに乗りました!
当日はスゴイ雨!早朝から機関区の見学・・・
そして早めに駅へ!ホームに並んで席取りです。
こんな事も昔は当たり前だったなあ! なんか?楽しい・・・
津山駅のホームが国鉄時代の雰囲気をよく残している上に車輌はホボ原型のキハ58・28
雨ってのもなんか良い! 曇ったガラス越しの景色が ううむ!ノスタルジック?

昼に発車する列車に津山駅のホームでは食べ物の販売等は行われていない。
ところが美作滝尾駅が近づくと”もつ焼きうどん”なる物を売っているとのアナウス?
雨の中で停車すると乗客は我先に駅前のテントへ・・ なるほどそういう仕掛けか!
ここはフーテンの寅さんの撮影に使用された駅だそうで・・記念碑も有る。
僕がよく出かける温泉津とは偉い違いだなあ・・・・
しっかりと観光資源に活用している。
そういえば列車がホームに着いてからズッと「男はつらいよ」のテーマが流れている。
古い駅舎もそのまま景色さえもそのままの
次の美作加茂駅ではうどん・コロッケ美作河井駅では蕎麦
そのほか各駅ともに農産物や山菜などを販売している。
うどんを食べていた乗客が次は蕎麦だからって・・・それぞれ量も工夫が・・
町の人達が楽しそう・・・乗客も楽しそう・・・・
これは凄いなあ・・単線の行き違い設備のない駅で30分以上停車する列車?
地元の方々の利益を考えた運用?
こういう事は他では無いなあ・・・
残っている駅舎の状態が良いのは津山運輸部の仕事だろうなあ?
国鉄型気動車の2輌編成でこれだけの集客力かと思ったら、この地元のバックアップがエライ!
各地の観光課の方々、ココは是非に見学を
こういうのを町興しって言うのだなあ!

急行型気動車2008年05月20日 08時52分35秒

国鉄時代の急行型気動車はキハ58・28と言う形式です。
この他にキハ55・26と言うタイプも急行列車に使用していましたが元は準急用に開発された車輌なので此方は準急型と呼んでいます。
その他には北海道で使用されていた寒冷地用、アプト区間用と有ります。

とりあえずディーゼル急行の思い出を・・・・
最寄りの駅が新宿だったためDC急行というと”犬房””内房”という房総半島方面の列車が新宿駅で油煙を上げていたのを思い出します。
この房総急行は冷房化も比較的速く綺麗な車輌が多かったような?

またキハ60とか珍しい車輌も千葉気動車区には多く編成を見るのも楽しみでした。

早朝に東京駅に行くときに御茶ノ水駅で新宿へ回送される”犬房”をよく見ました。

対照的に汚れていたのは中央線の”アルプス”です。
全て2個エンジンのキハ58で発車していく時の排煙もかなりの迫力でした。
此方は全車が煤けていて真っ黒だったなあ。

時間帯によっては当時の富士急行からの乗り入れ車が連結されていて、その車両だけが馬鹿に綺麗でした。

いずれも架線下を国電の合間に走るために発車の轟音はかなり派手でかっこよく見えました。

その後に山陰地方に出かけるようになって急行でも冷房車が無いのには驚いたなあ!

大阪・京都始発の急行は編成も長く冷房も付いていましたがその他の急行は酷かったなあ!

”宍道”などはほとんどが55・26で編成されていました。
不思議だったのは倉吉線の普通列車?
何時も綺麗な58・28で走っていました。

あの狭いボックスシートで夜行?
エンジンの振動のせいかなあ不思議と良く寝られたなあ?