ムーンライトえちご2008年05月13日 10時32分19秒

新宿を23:10に出て新潟へ向かう夜行列車が有ります。
今は国鉄時代の特急型車両を使用しています。
座席で夜行に乗るのは会社員時代に急行”つがる”に乗って以来だから・・・
その頃の”つがる”は14系座席車だった・・まあ 同じかなあ!
そこで今回はG席を・・・
ところが乗ってみたら先頭車の半室を改造してある・・・
普通車とは簡易な仕切壁? しかも先頭車両なので機器の音もうるさい!
椅子だけがG車の物で出入りも普通車内を通る?
うーん? これは・・・ ちょっと頂けないなあ!
しかも当日の車両は車輪に盛大なフラット!
物凄い騒音・・ よっぽど普通車の空き席に移ろうかと思った?

と言うわけで今年の連休は磐越西線へ撮影行でスタートです。
しばらくお休みしていたブログは何時もの様に報告記となりますが?
なにせ・・ 長い しばらくお付き合いを・・

写真は高崎駅で上野発の急行”能登”に追い越される”えちご”です。
快速と急行・・確かに489の方が良いなあ・・・

古龍への道2008年05月13日 13時38分26秒

石見銀山として世界遺産に指定された地域内に古龍と呼ばれる入り江があります。
初期の頃の銀鉱石の積出港の一つと伝わっています。
古文書等にも”古龍千軒”の記述があり鞆ヶ浦から始まる海上輸送の基地として温泉津開発以前に最盛期を迎えた場所と聞いています。
この場所へは海からしか行くことは出来ないと聞いていたのですが昨年始まった鞆の遊船で訪問する夢はかないました。

ところが土地の方から歩いても行けるとのお話が!
連休に出かけてみました。

馬路から神畑へ通じる林道へ車を止めて尾根道へ、しばらく行くと古道と認められる場所へ出ます。
昭和30年代まで古龍に人家は有ったとの話ですが既に竹林状態で当時の生活道路は通行できません。

古道が登り切った場所、尾根道との合流地点に井戸が・・・
この辺りに人家の跡が見られます。

尾根道を進むと別の道跡が有るのですが通行は出来ません。
綴れ折りの間道らしき道を降りていき数件の人家跡の辺りから”古龍千軒”と言われた面影が感じられます。

おそらくはそこまでが当時の入り江と思われる辺りからは植生も変わり砂浜が近づくとハングル文字のゴミの山が現れます。
風に吹き上げられて思わぬ位置までハングル文字が識別できるゴミの山です。

これは、島根県や大田市も清掃作業をしないとなあ!
ここも世界遺産の指定地内ですから。

写真を写してユネスコの会議で石見銀山とその周辺がハングル語圏からのゴミに犯されているって報告すべきだと思いませんか?
もし、これが日本語のゴミが半島に流れて着いていたらどんな騒ぎになるかなあ?

その先まで行くとゴミは無くなり静かな砂浜にたどり着きます。
この湾、全体を古龍と呼ぶのか奥の集落跡が古龍なのかこの辺の知識は大森の羅漢寺の和尚から得た僕の知識では解りません?
70年代に大森で木村幽玄師より聞いた場所にやっと立つことが出来ました。

鞆ヶ浦より仙の峰を目指し・・商業開発に成功の後は手狭な鞆の側、古龍という場所より鉱石を輸出した。
古龍千軒と言われたいそう繁栄した港も大内氏から毛利氏に変わり衰退していった。

今、石見銀山は僕らが遊んでいた大森銀山とは違う場所のようになっています。
けれど間違いなくあの大森が今の石見銀山なんだなあ・・・ 不思議だ!