ユースホステル最後の大晦日2009年01月04日 12時53分17秒

新年最初のブログは大晦日の報告から?
2008年末で多くの民営ユースホステルが閉館しました。
他地域やそれぞれの理由は解りませんが私が関わっている数軒のユースホステルは日本ユースホステル協会との見解の違が原因で長年掲げてきたユースホステルの看板を下ろしました。
”ゑびすや””城福寺””山口”の各ユースホステルは協会の下での活動はもう出来ないがユースホステル運動は続けていきたいと言う苦渋の決断でした。
大晦日を迎えた城福寺は住職の挨拶の後に石見神楽を上演し除夜の鐘を合図に42年間のユースホステルの看板を下ろしました。

元旦の夜に始めてのYHが前泊のゑびすやさんで2泊目が山口という老婦人と会いました。
「出雲でも山口でも皆さんに良くして貰いYHがこんなに楽しい所だとは思わなかった」
と喜んで頂けましたが、この2軒共に既にユースホステルでは無くなっている訳です。

しかし、中国地区民営ユースホステルが始めたJYHを脱退してもユースホステル運動を続けていくと言う事はこう言う事だなあと思いました。

日本のユースホステル運動の原点に帰る?
かつて旅する若者を受け入れるユースホステル運動に参加しないかという問いかけに賛同して自宅開放から始まった民営ユースホステルの原点ではないかなあ?

JYHを脱退してもユースホステル運動を続けていくと言う考え方を伝える方法を思案しています。

旅館や民宿・ホテル等の宿泊施設とユースホステルの何が違うかをJYH理解できていない事が問題点だと思います。

安い宿なら何処にでもあるって それなら そちらにお泊まりなさい!
ユースホステルが安価なビジネスホテルと競い合っても意味がないでしょう!
また、旅先の宿が金額でのみ評価されるのなら老舗の宿が残っているわけがない!

中国地区民営ユースホステルの3軒はユースホステルで有り続ける為にユースホステルの名称を捨てなければならなかった?
不思議な話だ?