キチンと資料を調べたわけではない。2009年09月18日 08時33分44秒

キチンと資料を調べたわけではない。
その場所に出掛けていって景色を眺めそうして感じた事や土地の人達の昔語りを聞いて思う事!
そういう情報を持って実際に歩いてみる?

事実ではないとか伝承に過ぎないとか揚げ足を取る人もいるけれど?
これは僕が趣味で出掛けていく事だから別に気にしてはイナイ。

昔々に大森で老人から佐渡の金山へもココから職人が出掛けて行ったと説明を受けたが?
それっていつ頃の事なんだろう・・・・・

神谷寿禎が鞆ヶ浦に上陸し銀山の商業開発に掛かった頃なのか?

大内・尼子の争奪戦が一段落し毛利の支配が確定した頃なのか?

関ヶ原後に大久保長安が甲州がら鉱山技術者を連れて来た頃なのか?

採掘技術的にも”拾っていた””鉱脈を掘り下げた””坑道を掘った”
加工秘術でも、”鉱石をそのまま運んでいた”から精錬加工を行い最終的には純度の高い銀塊にして運び出している。

輸送に関しても初期の鞆ヶ浦は鉱石のままだった事は尾根から落としたって話で鉱石まで出たって言うから間違いないだろう?
唐人を連れてきて製錬技術を持ち込んだのが神谷寿禎って話だから、鞆ヶ浦から鉱石で運んだのは初期の頃なのか?

この辺りの港に異国船が寄港したって話はあまりi聞かない?
まあ日本海の場合は制海権は日本に有ったようで、この海で海賊行為を行っていたのも日本船だから大陸や半島の船が来る事はなかったのかなあ?

鉱石で輸送していた頃は精錬は何処でしていたのだろう?

こんな疑問の中で時代時代に誰が一番利益を得ていたのかなって思うんですねえ!

それを調べてみれば、もう少し解りやすいかなあ・・・・・・・・・・・・   続く