ヨーロッパからの船2009年09月28日 09時00分03秒

ヨーロッパからの船
島原半島に口之津という場所があります。
遙かヨーロッパから交易のためにポルトガル船がたどり着いた場所です。

その場所へ行った時にココへやって来る船はシルバーシップと呼ばれていたと説明を受けました。
しかし、この辺りでは彼等を満足させるほどの銀は産しません。

今の交通機関を元に考えるととても不便な場所ですが大量輸送の技術が海上輸送しかなかった頃の輸送路で考えれば口之津は湾内に入って最初の良港になるので異国船が入港した理由は解ります?

商いは貨幣では無く交換だったのだから?
異国の商品を見せられ欲しければ交換するって申し出に彼等の希望する物をどうやって確保したのかなあ?

その頃大内氏の時代、既に銀山は経済的には博多商人の支配下にあったと思うのですが?
世界地図に大森の銀山は載っているのだが?記録に有るという唐天竺の船が来たって本当なのかなあ!
だったら石見の海岸地域にもっと異国船の伝承が有っても良さそうだが?  

なぜ? 大陸や半島ま到達していたヨーロッパからの交易船が日本海に進出せずに口之津だったのだろう?

大陸や日本海に博多の商人達が商圏を確保していたからじゃあ無いのかなあ?

石見銀山の世界遺産登録に”世界経済を動かした”と有るけれど?
石見から海外に運び出された記録って有るのかなあ?

どういう訳で口之津へ来る外国船がシルバーシップって呼ばれていたか?

だから大森の銀山が 博多の商人神谷寿禎によって商業開発されたって事が出てくるのだと思うんだなあ!

大森の山中に唐人屋敷は有るけれど異人の伝承は無いんですねえ?
 あっ キリスト教徒がいた事は解っているけれどね・・・・

その頃から統治とか商権とかが確立されていて余所からの横やりが出来なかったって事なのかなあ?

続く