石見の海と2009年10月20日 08時22分29秒

石見の海と
昨年、島原鉄道の部分廃線に出掛ける時に口之津が妙に引っかかり行って見た!
出会いがあって再訪するのだがその時に資料館の館長さんからシルバーシップの話を伺う? 

口之津に異国船がやってきた時期は判っている。
彼等が銀を目的にやってきた事も積み荷に銀を持ち帰った事も判っている。

しかし、島原半島周辺ではソレを賄うほどの銀は出ていない 
が その時期は石見銀山が商業開発に成功した頃とリンクしている。

大内さんの所の銀山に関する資料に唐天竺からも船が来たって記録は有るらしい?

もし実際に古龍に外国船が直接入港していたのなら古龍の伝承はもう少し具体的に残っていたのでは?
石見銀山ではこの伝承を元に鞆から西洋世界に銀が運び出されたとしているが?

既にポルトガルやスペインがフィリピンや中国に進出している時代に唐天竺はあやしい?

豊臣政権成立前、天下は統一されていない。
その時代は日本船だって外洋に出掛けていたし幕府倒壊後の貿易は商人の自由だった。
大内さんはその時代に大儲けしたわけだ・・・
 ヨーロッパから船が来るって事はキリスト教の布教も同じように付いてくるし・・・
  
だから・・古龍や鞆に異国船は来ていないと思う!

博多の商人達や日本の統治者って以外と計算高い?
彼等は利益を生む方法も仕組みもヨーロッパ社会と付き合う方法も判っていたのでは?

既に進出を受けて植民地化していた東南アジアの商売で日本の商人は彼等と競い合っていたって節もある?

石見銀山の世界遺産に登録の歴史的価値ってそう言う部分が大きい!   続く


8月17日の「達磨さん」から始まった ”続く!”は話が少しずれてしまったかなあ?カテゴリーの{石見銀山とその周辺}を選択で続き物になるけれど・・・・
 タイトルを揃えなかったから 判りにくかったかなあ?
 
とりあえず・・・・    続く の  続く!

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