指定席2010年04月20日 09時08分40秒

オハフ61って客車は懐かしい!
僕が出かけた路線には比較的多く走っていた。
この客車は17mの木造車5両を種に4両作ったって話になっている?

17÷4+17=20?

何故?こういう事になったのかというとココにも敗戦後の日本の事情が!
立て続けに起こった車両事故で古い木造車の危険性に対し鉄道車両の新製を認めてくれない進駐軍に改造という名目で車両の鋼体化を行った訳です。

この話って前出のC61と同じような事で・・・

種になった木造車って明治末期のものもあり改造時で既に製造後40年?

窓は大きいく新しそうなのに網棚のベースや椅子の脚が鋳物で妙に凝ったデザインで背刷りが直角で板!
微妙に座席間が狭く向かい合う人の足が又の間に入る客車って覚えていますかねえ?
それがオハ61です。

その客車に車掌室が付いているのがオハフ!

さて、指定席とは!
この客車の車掌室って客室とデッキを挟んで反対側に有るんですよ
その車掌室のというのは片側にドアのある小部屋。

反対側には手回しのブレーキが有って・・ ソコに小さめな椅子が有るんです。

長旅の途中・・ 一人になりたいときなんかにココに座ったなあ?
当然、暖房は無くて寒いのだけれどドアを閉めると個室になって・・・
小さめの窓から景色を見ながら・・・・

前だと牽引機の音が聞こえて・・・・
後ろだと走り去るジョイントの音や踏切の消えて行く音が・・・・・

あの時はこの席には座らなかったが?
 もしかすると  このデッキから さようなら と手を振ったのかなあ?

思いの外に綺麗に保存されている日中線熱塩駅と保存車両・・・

除雪車2010年04月20日 09時29分16秒

除雪車
線路に積もった雪をどけて鉄道車両が走れるようにする車両です。
今でも似たデザインの車両が走っているのですが営業時間中はめったに走らない?
あまり人の目にふれない種類の車両です。

特異な形なので意外に保存されている数も多いのです。
ここ熱塩駅にも大事に保存されています。

雪国の人たちにとっては我々が思う以上に除雪用車両に対する思いは強いのかなあ?

以前に他の場所の説明板に
孤立した街に雪を蹴散らし救援に って記述が有ったなあ。

会津にはロキというロータリー式の除雪車も保存されています。
此方は蒸気機関で羽を回し雪を投げ飛ばす車両です。

鉄道が物資輸送を担っていた時代、雪で孤立状態の町に物資を届ける鉄路を確保すべく運転される車両だから・・・

以外に各地で大事にされているんですねえ!

それにしても凄い雪・・・雪の中でキ100って言うのも良いなあ?

しかし・・・ この後で? 移動しようと車に戻ると????
あれ? ゴムチェーンが無い? 片方どこかへ置いてきた・・・

雪の中を戻ると・・ 先ほど巻いた場所の直ぐソバに落ちていた?
再度、巻き直して   いよいよ撮影のために山には入ります。

それにしても凄い雪だ・・  桜と汽車の予定が・・・ 遭難しそうだなあ

廃線跡の蒸気機関車2010年04月20日 11時17分48秒

廃線跡の蒸気機関車
 本日3回目のUPです?

熱塩駅から喜多方に戻りチェーン回収後にもう一つ寄り道を!
住宅街の小道に蒸気機関車が保存されています。

日中線の線路敷き?

この線は蒸気機関車時代も早朝と夕方、一日3往復しか走っていませんでした?

”日中走らぬ日中線”がキャッチフレーズで・・
僕らより古い世代はスハニ35が居たと聞いていますが?
僕らの頃は既に前出のオハフ61だったと思います。

距離も短く本数も少ないのに? この日中線って以外と大事にされているって?

 不思議な感じですねえ?

ここも計画は壮大で上野から日光・会津経由で米沢までの路線で計画?
喜多方-米沢を結ぶはずが実際は11.6km?熱塩までしか開通しなかった?

同じ計画の路線が野岩鉄道として浅草から直通し乗り換えて会津若松まで届いている事を考えると複雑ですねえ!

歴史のもしもで会津と明治新政府の関係が違っていたら?
徳川慶喜の考えていた共和制を取っていたら?

山形新幹線は会津若松経由だったかなあ・・・・・・・・

そういう事で熱塩駅は凝ったデザインなのかなあ?
熱塩温泉の最寄り駅だったんですねえ!

本州で最後まで蒸気機関車が客車を牽いていたんです。
 倉吉線廃止後に移ってきた機関車ともココで再会したんだなあ?