清水訪問 清見寺2010年09月22日 08時23分08秒

汽車旅以外の訪問記が温泉と石見銀山しか無かったので維新史やその他の旅を整理するために”過去を訪ねる”と言うカテゴリを追加した。
今回の西行きから使い始める事とする。
何故、清水へ出掛けたのか?

数年前から・・今年の春にも出掛けたが木古内で触れた”咸臨丸”に続く。
少し前までは咸臨丸は清水で沈んだって話まで有ったと木古内で聞いた?
いつかは行こうと思っていたが先日の高山行の時に見つけた山岡鉄舟の像!
こりゃあ出掛けなければと・・ 決めていた。

咸臨丸は榎本艦隊に所属し官軍への引き渡しを拒否して輸送船として彰義隊隊士や榎本に同調する幕臣を乗せて江戸湾脱走に参加する。
房総沖で時化に遭い艦隊を離脱、舵を損傷し漂流してしまう。

その後に舵の修理を行うため江戸を追放された徳川家の移封先の清水港に向かうが、下船させた陸兵は徹底恭順の徳川家により逮捕され官軍に引き渡され修理中の咸臨丸は追っ手の官軍軍艦にに襲撃され降伏しているに関わらず乗組員と士官全員が虐殺されてしまう!

この後に民間に払い下げられた事が咸臨丸が歴史から消えてしまう原因だと思う。

清水の次郎長という侠客と山岡鉄舟が建てた壮士の墓と榎本の咸臨丸乗組員殉難碑

そこに詣でるのが今回の清水訪問の目的となっている。
興津駅から線路脇の道を歩く。
旧東海道沿いに歩けば古い商家や東海道の雰囲気を伝える町並みも有ったらしいが?
案内人?は全く調べていない。
彼はオートバイで旅する人で唯一寄ったのが通る度に気になっていたと言う?
自分と同じ名前の洋品店! 薩川という名前は静岡には多いのか聞くが解らない!
清見寺前に着くが絵を描いている人が大勢いる?
何処でもそうだがこういう人達は自分たち以外の観光客の邪魔になっているという意識がない。
普通の見学者なら避けてくれたり待っていれば移動するがこの手の方は平気で史跡に座ったりしていて絶対に退いてはくれない。
横手の階段から境内に入ってしまったので本来は山門をくぐると目の前にと聞いていた 咸臨丸乗組員殉難碑の横から本堂前に出る。
お参りに来る人もいるのに絵を描くジジババがそこら中にウンコ座りしている。
横手に五百羅漢があり表情が石見の羅漢寺の物に似ている。
時代的には同じ頃の物だがまさか福光石って事はないと思うが?
見学の意志を伝え拝観料を払い本堂に上がる。
気持ち良い庭があり、取って付けたような家康に関する記述が有った・・
この寺は朝鮮通信使の接待が行われた場所だがその事よりも血天井の方が?
二階の座敷から海が見渡せる。
通信使に関係するお寺はこういう作りの場所が多い!
以前は目の前が砂浜で皇太子が海水浴をしたと言う碑が建っている?
アプローチの仕方とお絵かき隊のお陰で咸臨丸乗組員殉難碑にはさほどの感動もなく?
ただ、境内から見える美保の先端が地図では解らぬ実際の景色と感じられた。
榎本が揮毫した殉難碑の序幕後に梅蔭寺まで人力車を連ねて移動したと記録にあるので寺前よりバスに乗り移動する。