作州鶴田藩2010年12月01日 08時22分10秒

スローライフ列車で津山に出掛けた時に探したが見つける事が出来なかった?
大体の場所は解っていた・・ と言うか前回、横道に入れば解ったかなあ!
キハ58・28の最後の運行に出掛ける事になり再訪する事にした。
諦めて引き返した道、手前から細道に入り山手に曲がった所だった。
陣屋跡にしては規模も作りも簡素だ!
 途中には案内板のような物も無い。
探し当てた時に大きな銀杏の木と石組みに階段。
 あっ ココだと言う手応えは有った。
一目で明治に入って作った物と解る石組みがこの場所を解りにくくしている。
イメージ的には昔の小学校という雰囲気だなあ?
土地の人達がこの場所にあまり興味がないと思われる?
 だからかなあ何か感じる雰囲気でもない・・・・
一本の杭に刻んである”作州鶴田藩六万一千石””西御殿跡”
この杭を見に来た訳だからそれで良いのだが・・・・
扇原関門から始まった一連の訪問の最後をココにするには余りに何も無い!
津山市は津山城で十分に観光客を呼べると考えるだろうし・・・
石州口の戦いには津山藩も参戦していて戦わずに逃げちゃったワケで?
この距離に浜田藩が引っ越してきたら、チョットかっこわるかっただろうなあ!
そう言う事で、津山の人達も興味が無いのかなあ?
市内の資料館にも寄ってみたが鶴田藩に付いての説明は見つけられなかった。

鳥羽伏見の後に官軍に詫び許しを請うために家老が切腹したという・・・
    廃藩の後にこの藩の人達は何処へ行ったのかなあ?
    
この場所には残らなかったんだろうと・・・そう言う風景がまさに跡だなあ!
第二次長州征伐、長州側では四境戦争と呼ばれる戦いの跡を訪ねて来たが?
とりあえず石州口の戦いについての旅はコレでお終いとしよう!

津山ホルモン饂飩2010年12月01日 08時37分16秒

昼食を考えながら津山市内に入る。
コレはと言う食い物は浮かばない?
実は早朝の場所取りの時に車を返したのが潰れた饂飩屋の駐車場?
再びその看板を見つけて・・おや? 此方は営業している・
上手い具合に”名物ホルモン饂飩”と書いてある。
珍しい物はとりあえずチャレンジする事にしているので?
車を乗り付けてドアを開ける・・・讃岐のセルフ饂飩的景色がある。
棚に天麩羅などが並びそれを選んで自分で湯がく・・・
僕らは一目で初見扱い!おばさんが小中大の饂飩を見せて説明する。
ホルモン饂飩が食べてみたいと言うとそれは方式が違うらしい?
席で待っているように言われる。
入った時は相客も居なくて失敗かなと思ったけれど・・・
後からお客も増えて意外や繁盛している?
ボロイのは表のでかい看板だけのようだ?
他の人は手慣れた感じで湯がいて食べていく。
意外に時間が掛かり出てきた物は?
なあんだ焼き饂飩ではないか?
汁と丼を想像していたのでチョットガッカリかな?
醤油味の焼き饂飩にモツが入っていると言う感じで味も想像通りだった。
まさにモツ入りの焼き饂飩・・・・・・
不味くはないが味も想像通りで捻りも何も無い。
 メニューを確認してカツカレーうどんを発見! 此方の方が珍しい?
食後に津山の博物館へ行く・・ 町中でも駐車料金が無料?
隣に大きな有料駐車場があるのだが建物の裏手に停めれば見学者は無料!
建物が面白いが他には余り見るべき物はなく当然のように津山城の資料?
鶴田藩の事は何処にもない・・・あの場所だって津山市のハズだが・・・・



JPからの電話2010年12月01日 10時47分26秒

指定通りに電話が入る。
キチンとした日本語が使える人が電話してきた?

昨日の報告内容の説明を受ける。
 状況について説明し問題点を告げる。

駐車場私道部に侵入し駐車した事は当然のクレームだが。
臨時のアルバイトが指導を受けていないと返答。
電話したら課長が指導していないと答えた事。
クレームに対して上席の連絡先を聞いたらアンサーの電話番号を教えた事。

そして、ココではクレームは当事者ではなく上席の管理者へ連絡するという
ルールを説明した。

本人が反省していると言って是正された事はない。
まして今回はアンサーの連絡先を答え、貴方の対応が正しいか確認すると言うと
狼狽えるという不祥事だ!

毎度の事だが末端で配達している人達の危険を管理者は理解していない。

 だってさあ・・所属を聞いて答えられないヤツに配達させて?
雇用時に説明しているのか聞いたら指導はしていないって!

電話してきた方は驚いたようで、既に報告に対し論点の違いを諭したとの事。
課長職でこれじゃあ話にならないねえ・・・・

何処でもそうだがキチンとした対応が出来る方はいる!