丸瀬布から銭函へ2014年05月13日 08時04分28秒

ヌシは未だ暗いウチに帰って行った?
渡道二人で朝・・・ 仕業点検に合わせて機関庫へ。
雨宮の朝ウンコを見て発券売り場でスタンバイ。

今日は朝一番を撮影で移動と話す。
時間になるが客がいない?
いこいの森は乗客がいないと運休となる。
小山さんが行くよと席を立つ、走ってくれると言う。 感謝!
昨日の帰りがけに水を貯めた池に構えるが・・  波が消えず!
思ったよりも光が悪い、ココと伝えてあったので強行する。
撮影後、皆さんに挨拶し二台で出発。
さすがは連休、二便にはソコソコの乗客が並んでいた。
お土産を調達、相談し昼食を上川のラーメンとする。
電話で店名を確認し町内をグルリ半周し店を見つける。
食後のコーヒーを旭川でと走りご馳走に。
思わず話し始めるが早めに移動する。
北海道まで来て友人の仕事の邪魔をして半日では笑われる?

美唄で解散と東明駅を目指す。
先導車は保存の機関車巡りも大好きなのだ?
4110の周りを歩いていると・・音がする?あら!また悪戯している・・
そう思ってからかおうと思ったら先ほど止まったローリーの運転手?
その方が駅の中を見ますかと声を掛けてくれた?
保存会の方らしい、仕事の合間に掃除に来た?ご苦労さんだなあ。
お言葉に甘えて駅舎内を見学する。
一時は荒れていたらしいがキレイに掃除されている。
この地では普通の事だが虫が溜まっている、コレを掃除に来たと言う!
内部は年に数回しか見られないと言う・・ラッキーな出会いだ。
時が止まった様な空間だなあ・・・ 
僕らが感心しているモノが会長さんには珍しいらしい。
さかんに価値がワカラナイと言われる。
1972年の本州接続時刻表が立て掛けた机の裏に重ねて貼られている。
表の方は退色しているが裏側の方はホボ新品の様。
 懐かしい列車名が並んでいる。
掛かっている黒板には、はっきりと・・・
 「1972   7.27  閉駅」   と書かれている。
東明駅の旅客荷物掛かりの駅員さん最後の仕事が保存されている。
誤って消さないようにと・・伝える。
何故か運転関係にはウサギの数が書いてある?
此方の方は後の農業倉庫時代のメモかなあ・・ 不思議だ。
この他に、列車遅延の看板。
コレもこの駅に停車した最後の遅延列車の記述。
コウイウモノ、本物の持つオーラというのは伝わるモノだ。
これら白墨書きの看板はココが資料館となった時の一級の展示物となる。
今の状態を維持できれば何時かそういう時が来るだろう。
何処でもそうだが保存しようと言う活動には頭が下がる。
汽車が鉄道が消えていき対象が無いと悲観した時期もあるのだが!
こういう人達のおかげで僕らの楽しみも続くと言う事だ。
ここで友人は苫小牧からフェリー、僕は銭函へと別れる。
銭函の「旅の小さな博物館」、宿泊は一人。 
マッタリとし夜は同し趣味のオーナーの酒に付き合う?



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