信濃丸2019年12月09日 08時10分40秒

先日の蟹行き、舞鶴引揚記念館に寄り見学してきた。
展示に従事した全ての使用船舶の模型が有った。
数万人を運んだ船も、数十人の船も展示している。
一番下の端っこに一目で古いと解る形の船が有った。
前時代のデザインを感じるマストに目が行った。
明治33年竣工・信濃丸・回数19回・人数3.8万人。
古い船なのに随分と運んだんだなぁ。
何処かで聞いた名前だなぁと思ったが!
日露戦争が明治38年、と言う事はもしかしたら?
見返せば何処かで見た形の訳だ。
日露戦争の日本海海戦で秋山参謀の電報に有る。
「敵艦見ユトノ警報」を発信したのが信濃丸だった。
そんな船が引き揚げ船として数万人も運んだのか?
興味を持ったので調べてれば船史的な本が出ていた。
「信濃丸の知られざる生涯」と言う本で早速、ポチッ。
何時ものように翌日届く!
明治時代にイギリスで建造されたこの船は。
翌年に建造中の戦艦三笠の回航員をイギリスに運び。
日露戦争初戦で陸軍に徴用、主力の半島上陸に従事。
解除後は海軍で再徴用、仮装巡洋艦に改造されて。
日本海海戦の日の早朝にバルチック艦隊と遭遇する。
本来は外洋航路の貨客船で北米・台湾航路など。
華やかな経歴で活躍し、老朽化後は遠洋漁業に従事。
鮭鱒の遠洋母船になり、浮かぶ缶詰工場になったり。
小樽空襲で被弾も可動可能と修理、引き揚げ船となる。
最期はこの国は関わっていない朝鮮戦争の最前線へ。
明治から昭和、歴史のポイントに登場しつつ。
最後まで日本船として従事し幸い撃沈もされず。
国内のドックで解体された!講談を聞くようだねぇ。


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