石見銀山2022年09月05日 08時08分46秒

テレビで銀山を放送すると楽しみにしていた。
汽車が好きで出掛けていた山陰の岩見地方。
泊まっていたYHの毎晩のミーティングで。
旅行者を相手に観光案内をしていた時期が有る。
興が乗れば翌日は山を案内と遊び場っだった。
シッカリした番組と期待していたのだが。
後半に少しガッカリしてしまう。
タモリさんが銀の積み出し港について語る。
もう少し閉鎖された場所ではの疑問をスルー。
たとえばと地図上の入り江を指すも専門家は無視。
実はアノ場所が毛利水軍の軍港と聞いている。
銀の積み出し港は別に有るのにソコには触れず。
温泉津港で番組を閉めてしまうとは残念だ。
古龍は無理でも友浦は紹介されると期待したし。
江戸期の輸送路の話くらいは出ても良いのでは?
伝承とか言われるモノは都合で変わる事が有るが。
アノ地域は相変わらずだなぁとガッカリしたよ。

銀山から山口へ2015年08月26日 09時03分54秒

同行者の朝が遅い!
既に10時を回っている?
彼は石見銀山を見たがっているがそんな時間は有るだろうか?
僕の予定は午前中の銀山、昼は地の美味いモノの予定なのだが・・・
やっと朝飯を食べ終わり銀山へ向かう。

城上神社前に車を停めて参拝、鳴き龍も初めてらしい。
車を駐車場におき観世音寺へ、瓦の連なる俯瞰を見せる。
ココで外人の女性とすれ違う、軽く挨拶をした。
そのまま清水谷へ向かい精錬所へ。
上まで行って見てくると登ってい行ったが・・・
なんとトロッコ道を歩く姿が見える。 そのまま一時間くらい戻らぬ!
戻らぬ間に先ほどの女性が来た、関心だなあ、よく調べている。
日本人の観光客が余り来ない、逆にココが見所へ現れる。
しかし戻らぬコレにてぼべ飯は時間切れOUT、諦めて龍源寺間歩へ向かう。
彼だけ行かせて佐毘売山神社で待つ。
荒れてきているがココは観光客も来ない。
気配を消して昔のようにしばらく昼寝する。
コウイウ場所は人の気配が有ると観光客が寄ってくる?
一眠して友人が来て一渡り説明していると、また彼女が現れる。
よく勉強しているねえと声を掛けると嬉しそう。
一渡り外人向けの内容で周辺の事を説明する。
興味を持ったのか僕らに付いて来る?
喜んだ友人が余計な事を聞き出す・・・
今晩は大阪? えっ、それじゃバスに乗らなきゃ危ないなあ。
案のじょう大田市を17時過ぎの特急、時間的に危険。
呑気な彼女と友人が話している。
時間を調べ・・・車で連れて行けば・・・ う~ん。
話して同意を取り鞆が浦へ行き景色を見せ銀山延喜のさわりを語る。
ついでにお茶でもと思ったが銀蔵は閉まっていた。
この後、僕らも温泉津だし鵜の城と水軍基地を案内し駅に送る。
観光化された石見銀山とその周辺で僕が見るべきと思っている場所を、ホボすべて見せる事になった。
外人向けの資料を見た事が無いのだが彼らはよく勉強している。
日本人とは見る場所も興味の対象も微妙に違う。
お寺に戻り明日の予定を聞く。
山口線が走ると言い出す、ここから近いと思っているようだ?
彼のペースなら浜田・益田を案内し夕刻の山口入りと思っていたが。
明日は撮影の予定というので、そりゃ無理だと諭す。
しかし既に別組と明日の撮影を約束しているらしい。
慌てて紅花舎へ連絡しそのまま移動、深夜の山口入りとなる。



世界遺産2015年08月21日 06時28分49秒

銀山に行きたがる友人が起きない?
出発は10時を過ぎる。
そのわりにはじっくりと見たがる、
城上神社を案内して スタート。
途中でフランス女性を拾う?
いぎががりでハナグリ岩まで案内。
温泉津で見送り、温泉に入り帰る。
晩飯の最中に明日は山口入りと話す。
話しが噛み合わず、朝から撮影どのこと。
そりゃ無理だと急ぎ変更し山口へ向かう。

夜中に山口入り、今日は汽車の撮影の予定だ。

大寧寺2013年06月26日 08時19分23秒

大内さんと言うの関東生まれの僕らにはよく解らない?
領地争い繰り返し負けて逃げ帰った尼子さんを追って攻めた。

籠城した尼子さんを攻めあぐね結局は返り討ちに遭い逃げる?
ココで跡継ぎが溺れて死んじゃったりで戦意を無くし・・
領地の経営を配下に任せて遊んで暮らす?

こりゃあヤバイぜって配下の連中が騒ぎ出し・・
重臣と言われる人達がなすり合いをし自滅する。

結局は陶君が蜂起し大内さんは逃げ出す。

今の山口県の観光に関しては最大級の功労者だけれど・・
残っている記録によっても大内さんって驚くくらい人望が無い?

領内を逃げ回っても味方は減るばかり? 大寧寺で自害となる。

この争乱により大内さんが胴元で輸入していた銅銭が絶たれる。
銅銭に頼っていた流通経済が破綻し米に依存する結果を招く。
貨幣では無く米が流通の基礎となる経済は江戸時代の鎖国で守られる?
この国の少し変わった経済感覚の基はこの辺りにもある?

山口県下の旅行は毛利さんの旧跡と同じくらい大内さんの記述に遭う。

せっかく大寧寺まで出掛けたのに?
同行者は階段を登らず・・大内義隆の墓にも詣でない。
温泉に浸かり大寧寺を辞す。

興味があれば残っている石塔を見るだけでも中々の物だが。
温泉街の観光化の失敗がココを観光地として中途半端にしている。

見ように依ってはソコが良いと思うが・・

生野銀山へ2013年02月14日 08時15分31秒

ゆっくりのホテルの朝・・・吹田ICから高速に乗る。
途中のPAでモーニングを食べる。ちゃんと料理してあり美味い!
今日は岩美へ向かうだけ、時間調整のつもりで生野へ寄る事にする。
大昔、播但線の蒸気機関車を見に来た所。通過したが降りた事は無い。
駅に寄って見ると町並みが良い、生野銀山へ行ってみる。
途中の町並みが良いなあ・・・もっと早く行けば良かったと思う。
菊の紋章入りの門柱をくぐり駐車場へ。
立派なお土産物屋が観光に対する期待と衰退を感じさせる。
資料館と言われる場所は意外に面白い物は無い。
規模に対してココの工夫が足りないのではと思う。
坑道に行くと軌道跡を埋めて通路にし良く保存されている。
所々に古い時代の間歩のような穴が覗える。
古い鉱脈に沿って手掘りで進んだ坑道をぶち抜いてトロッコ道を作ったのが良く判り面白い。
岩崎弥太郎って商売人は維新後に天皇家の所有になり近代化を終わらせてから銀山を買うという上手い手で大もうけするワケだ!
ぐるっと回れる坑道は所々の手堀り穴が懐かしい?
僕らは十代の頃に石見銀山の間歩は遊び場だった。
懐中電灯を持って良く入ったモノだ。
そう言う横穴が近代的なトロッコ道を横断している様子が面白い。
エアで動かすのだろうバケット付きの機械とトロッコの組み合わせ。
縦坑も昔のママ、所々に見えている。
敷地には明延の車輌も保存されていて・・・
天皇家時代の門柱を使い続けたっていうのも弥太郎のしたたかさだなあ。
一通り見て回り来る途中に有った曰くありげな建物を見に行く。



請われて説明する2011年08月13日 09時13分55秒

滋賀から原付で来た青年に請われて石見地方の観光案内を話した。

そう言う話題の中で”その場所”という話になる。
各地を旅するとこの地この場所というところがある。
調べもせずに出掛けてそう言う場所に行き会う、それが面白い。

益田の市街から多田温泉を経由し石見横手に至る道がある。
温泉を抜けて登りに掛かると直ぐ、右側に墓がある!
 そこが浜田藩士岸静江国治って人のお墓だ。
道路を挟んで扇原関門跡入り口という石柱がある。
道は広域農道の下を潜ると極端に悪くなる。
普通の車ではチョット危ない! C63なんかで行ってはイケナイ!
幅も狭く荒れていて車を大事にしている人は入るべきではない?
この道を登り切った場所が扇原関門と言われる場所。
一人で行かない方がよい? かなり気持ちが悪い!
コレより浜田藩  コレより津和野藩 2本の石柱がある。
 長州軍をたった一人で迎え死んで進軍を止めた岸さんの碑がある。
翌日にはココを越えて長州軍は浜田藩に攻め込むのだが・・・
 
 石見路における維新へ向けての最初の銃声が響いた場所だ!
この事を知ってから作州鶴田藩陣屋跡へ行き着くまで何年もかかった。
こういう風に旅するウチに自然にテーマが繋がっていくって面白い。

ここが? 岸さんが銃弾を受けて倒れた場所?
翌日の侵攻でこの地は江戸時代を終え?
 そのまま長州藩が占拠し維新に、そして明治を向かえる。
その場所は今は訪れる人も無く、津和野側は道の体をなしていない。
(興味のある方は過去のブログに詳細に書いてあります)

  歴史の瞬間をココと言い切れる場所って!
出掛けてみると彼方此方にそんな場所がある。

  旅する青年に請われて話し出したが・・
忘れていた事、思い出した事もあり山口行きの途中で寄ってみる。

    昼でも暗い関門跡は・・・  一人ではやはりどことなく気持ちが悪い!


今年の石見銀山2011年05月16日 08時24分02秒

お寺の朝飯を食べ終わり今日もする事も無しとしていると?
フランス人がバス停を聞いている!
 忙しいお寺のお姉様が送るって言いだす・・・
う~ん 送るだけなら僕が行こうか!

軽自動車に乗って出掛ける! 城上神社に車を止めて拝殿に上がる。
前庭で観光客のおばさんが鳴き龍があると教えてくれる?
実は鳴かせ方が有るのでソコだけフランス人に教えるつもりだ。

地図にココとココは見るようにと教え観世音寺を確認させて別れる。
このフランス人は降露坂を沖泊まりまで歩くらしい?
日本人もこういう観光をする人が増えれば銀山の良さは解るだろう。

昨日までの連休中はかなりの人出だったがこの日は既に人出もまばらで以前のような混みようではない。
観光案内のみの知識でこの地を訪ねてもツマラナイだろうなあ・・
石見銀山はそう言う場所ではないからなあ?

その前日にここ数年、お寺に来る様になった青年を沖泊まりに誘った?
正確には温泉に誘ったのだが時間が早いので連れて行った。

恵比寿様を見に行くと観光客がいた? 簡単に説明し花繰岩への道を!
石の橋を渡り崩れかけた海沿いの歩廊を歩く?
しばらくすると後ろから話し声がする? どうやらついてきたらしい?
整備されていないこの道は結構危険だ!しかたがないので待ってあげる。

毛利さんのお城、軍船の係留場所。石柱や花繰岩の新旧を説明する。

この場所は温泉津観光の重要なポイントだと思うのだが?
年々道は荒れていく。
既に初見の方では危険な程に荒れ始めている。

世界委遺産とその周辺は騒ぎが鎮静化し始めているが・・・
予想の通り保全への投資も止まってしまっている。

日本人の観光客はこんなトコロへは殆ど来ない?
けれど前述のフランス人等はそう言う場所へも行くと言っていた。
本当に見て欲しい石見銀山とその周辺の景色の案内を請われて・・・
説明できる体制は出来ているのだろうか?

連休の出雲2011年05月10日 08時24分43秒

出雲大社の遷宮で大屋根の葺き替えをしている。
  60年毎の事との説明で開始前の神様を移動し空き家にした時が最初。
    あの時も連休だったと思うけれど・・・
      物凄く混雑したと記憶している。

 今回は急遽のお許しで島根まで吹っ飛んでいった。

時間的に早かったので大社のゑびすやさんに寄ってお話して?
時間調整して出ようとしたら連休4日の朝、神門通りは大渋滞。
その時点では公開中って知らなかったのでそのまま移動してしまった。

翌日その事を知って早朝に友人を誘って出掛けた。
 昨日の事があったので裏道(古い街道)から大社の駐車場に出る!
  意外や駐車場は余裕がある。
前回と前々回の服装についてのトラブルからか今回は細かに記載してある。
待合いのテントは一回分くらいこりゃ空いている!
 トコロが記入紙を受け取る所で友人のカーゴパンツがアウト?
  綿のズボンと言っていたのでよく見ていなかったが・・ダメじゃん!
   と言う事で彼は入れずに僕だけで見学する。
何度も来ているので今回は檜皮の裾処理と積み上げの様子だけ?
 他の人はじっくり見ているが・・ ソコだけ見たら僕的には終了!
  見学の終わりに巫女さんから旧屋根の檜皮が入っている袋を渡される。
   60年間、大屋根だった桧皮かあ?これは良い記念になるなあ。
この見学も無料で行っているし運営的にも大変だろうが観光客の誘致と言う見方では大社は頑張っているなあ。

それを生かすってトコロでその他の方々がイマイチな所が出雲だな?

見終わって連絡すると電鉄の駅にいるという!
 久しぶりに参道を歩き神門通りを駅まで行く・・

他にする事もなく年間パスを持っているので歴史博物館へ行く。
  今回は中途半端な特別展だなあ・・・・
    折角の連休期間で大社の遷宮に人も多いだろうに?
もう少し企画的に頑張らないと、間に合わせ?っそんな感じが・・・
前日から比べると不思議なくらい人が少ない?
 最近の連休の動向って読めないなあ・・ 
 5月5日の人出が・・ ほぼ180°写るレンズではっちゃんしか?

温泉津からの電話2011年01月24日 08時25分42秒

先週の事だが、Mailが届く?
 沖泊に行くトンネルは通れるのか?
東京は既に真っ暗!一時間程度の時差はあるが温泉津も暗いだろう?

どうやら友人が暗くなったトンネルの前で思案中のようだ・・・・

あの場所で暗い時刻では小さなトンネルを潜るのは少しコワイかな?
当然だが人気のある場所ではない?
街灯は有ったかなあ? トンネルの暗い照明だけが見えて出口は真っ暗!
想像したって気持ちが悪い。

とりあえず・・電話してみる。
 通れるよ  そのまま進んで広い所にコンクリートの小屋がある
   車を停めて 後ろが恵比寿神社、16世紀の物だよ  小屋の後ろは?
用水があって石の橋が有るから渡って先が・・・・

真っ暗じゃ止めておけと話す。 その先の遊歩道は満潮だと途中で濡れる?
  鼻ぐり岩が並ぶ場所があるが時間的に危険だなあ・・・・

数軒しかなく集落は暗い。 女性一人で佇む景色じゃない!

 とりあえず海に落ちないように湾に正対する場所へ誘導する。
斜めの松の木は見えるらしい?

時期が良ければ海に沈む夕日が見える・・・

ココが沖泊まりと言われる湾で潜ってきたトンネルの上から岬側が鵜丸城!

多数の毛利水軍の軍船をもやったで有ろう鼻ぐり岩が無数に並ぶ!

古龍への道2010年12月03日 08時32分35秒

夜半に雨音がしていた。
起きてみると本降りではないけれどしっかり雨!
コレでは古龍への道は無理だと紅花舎でユックリと朝食を取る。
津和野へ向かい肉饂飩を食べて代々屋へ寄る、和菓子屋へ和菓子のお土産を?
雨降りで寒いので善哉を頂く、本店が源氏巻屋なので餡物は美味い!
益田に出ると雨は止んでいた?日本海側は晴れていたようだ。
 今から行っても古龍往復はキツイので温泉津の沖泊まりへ案内する。
温泉に浸かりお寺に向かう!
晩飯は漁師さんから頂いた猪の肉で鍋と言っていたのに?
うっかりすき焼きにを用意し肉を入れる段になってアレって・・
味付けがマンマすき焼きの猪鍋となる。
  それでも肉が新鮮で若いらしく軟らかく美味い
翌日は曇天で波は荒い、今朝まで雨だったので琴ヶ浜へは降りずに鞆へ行く。
久々に神谷寿禎を祭る社まで行くが、かなり荒れている。
一度9号線まで戻り鞆ヶ浦道へ入りそのまま峠まで走る。
前回よりはマシだが相変わらず倒木や落石が多い!
車を駐車位置?に停めて指標の横から杉林の道をたどる。
以前より荒れ方は酷い、アプローチの尾根道ですら草に埋もれている。
松食い虫にやられて穴だらけになって倒れた松が道を塞いでいる。
下りに入ると道とは言えない状態になっている。
 前回まではどことなく生活の臭いが感じられて気持ち悪い感じだった?
今は遺跡というか山道になっていて水場の跡も竹が生えて解らなくなっていた。
降りきった先はもっと酷く、倒木に塞がれて通れなくなっていた。
残念な事に撮影しようと思っていた衝撃的な漂着ゴミは何故か減っていた?
倒木で通れないので道を離れてゴミを跨いで海岸へ出る。
突然に目の前に広がる海岸に立ち同行者へココが古龍と声を掛ける。
 想像通りに感動してくれたようなので安心する。
今日の感じではそんなに掛からずに再び陸路からは到達できなくなると思う。
”昔、古龍千軒と言われて栄えた港が有った今は海から見る事しかできない”
初めて古龍の名を聞いた時、スゴイ興味を持ったそう言う場所だ。
目的を達成し車に戻り湯里へ抜ける、付近を案内し時間があるので西田へ向かう。
毛利元就が大内の尼子征伐に傭兵として参戦し殿軍となり逃げ帰った道。
 この里は銀山の表玄関だった時期もあり独特の風習もある。
降露坂の入り口を教えて矢立城址を抜けて祖式へ抜ける。
時間に余裕があるので大森により城上神社に参る。
神社前に車を置くがタクシーが皆が立てに停める場所に横に置いている?
大田市がタクシーの駐車位置としているが地元車はココへ停める!
僕が車を置くとココはタクシーの駐車場と言われた・・・
ナンバーは練馬だが地元だぞと脅す! 当然何も言わなくなった。
社殿に観光客が居たあのタクシーの客だろう。
 案内もせずに車で待っているようでは話にならない!
観光地で案内も出来ない運転手じゃあお客がかわいそうだなあ。
鳴き龍の奥義を教える! 手を打った人にしか龍の声は聞こえない。
昼飯を兼ねて多義へ向かい温泉でユックリし大田でお茶を飲む!
 同行者は特急を乗り継ぎ京都まで帰る。
送った後とは温泉津へも行かずお寺に帰る!
近所のおじさんの通夜がある? 
服がないので始まる前に線香だけあげに行く・・
  が 知り合いに掴まりお手伝いの人と飯を食わされる?