古い写真2017年07月05日 07時27分12秒

FaceBookの国鉄・私鉄の思い出というのを見ていると。
皆さんが古い写真をUPしている。
ちゃんと整理しているんだなあと感心。
僕などは十数年前に始めた整理が終わっていない?
たいした枚数でも無いのにDATA化はどうなっているのかなぁ。
 
皆さんの写真を見る度にアソコもココもと思うのだが。
自分のネガは箱の中にそのまま放ってある。
 
何時かは整理しないとイケナイと思う。
模型にしてもネガの読み込みにしてもコウイウ作業は苦手だなあ!
以前なら映像を見ただけで何処で何時と覚えていたが・・
最近は数年前のモノも思い出さないことが有る。
身体の動きも記憶も本人が思っているよりアブナイ。

オハニ362015年01月09日 08時07分36秒

十代の頃に山陰本線の夜行列車に何度も乗りに行った。
後に寝台券の発券の都合で山陰という列車名になるのだが?
当時は京都夜行と呼ばれていた。
新聞輸送も兼ねていて滅多に遅れず運休も無い特別な列車だった。
この汽車に乗って山陰へ向かう時は倉吉で途中下車。
そのまま進んでも時間が合わず調整に丁度良かったからかなあ。

記憶が曖昧だが倉吉線の一番列車が蒸気機関車牽引の客車列車。
2輌編成、貨物も連結して混合列車だった。
途中で入れ換えが有ったか?終点には気動車が先に着いたような?
この列車に常時オハニ36が連結されていた。
相棒はオハフ61で薄暗い車内に板の背ズリだった。
対してオハニは幹線の特急でも使用されていた車輌。
半室の客車に乗って関金-倉吉間を往復してから米子に向かった。

大井川鐵道にこのオハニが保存されている。
2月21日に夜行列車を走らせるイベントが有り連結されるらしい。
夜行であの客車に乗れるのなら・・・  一考するか!

駅前の看板2014年10月28日 08時09分28秒

古い写真を整理しないとイケナイ・・とは思う。
けれど未だ殆ど手つかずのままだ。

ネガの入った箱から掴んだ順にDATA化すると言うルール!
そう決めて始めたら、余り面白くないネガばかり掴む?
それでかなあ、飽きてしまい止まっている。

その時に意外やネガが痛んでいない事に気がついた。

これなら未だ大丈夫かな?
そう思ったら読み込み作業をする気も止まってしまったのかな。

そうは言っても、古い写真のDATA化は何時かはしておかねば。
今日の写真は都電で錦糸町周辺かなあ36系統の廃止間近?
もしかすると廃止当日だったのかも知れない。

フト見れば駅前の大きな看板に「トルコ」?
時代だったのかなあ・・・・・

一畑電鉄松江温泉駅2014年04月03日 07時53分07秒

古い写真が出てきたのでついでに?
以前に一畑電鉄の事で松江温泉駅を撮した写真を探した!
古いネガをひっくり返し、探したのだがこの写真が見つからなかった。
人の記憶とは恐ろしいモノで撮した写真って覚えているもんだなあ。

正面から駅舎を撮したハズという記憶は有った。
山口に関係するネガに紛れているとは思わなかったこの写真。

あの頃、ファインダーを通して見た景色って不思議なくらい覚えている。
何故ここに行ったのかは記憶に無いがのだが。
コウイウ構図で撮影した事は鮮明に覚えていたんだなあ。

随分探したのだが・・あれ? なんで松江温泉駅の写真を探したのか。
そっちの方はつい最近の事なのだが・・・・
ソウイウ事は全く覚えていない。

山陰本線のD512014年04月01日 08時31分34秒

事務所でおとなしくしているから話題が無い。
消費税増税前の買い物も品物を写真に撮っていないので・・・
ブログに登場って事にはならない?

山口YHの40周年で写真を見返していて出てきたモノを!
季節は丁度今頃だと思う。

山陰本線仁万駅を発車する貨物列車だ。
実はこの先の切り通しを抜けると日本海をバックに築堤を登る。
そこで撮すべくお寺から歩いて行ったのだが・・・
ご覧の通り、中途半端な場所で発車してしまった。

駅に停車すると思っていたのだが通過しているみたいだなあ?
その辺の読み違いでこんな写真になったのだろう。

この続きが初めての山口YH訪問となっている?

浜田の先割れ2012年10月03日 08時58分13秒

山陰地方に浜田と言う町がある。
江戸時代は長州藩が暴れるとイケナイと徳川家康の考えで代々の藩主は親藩で続いていた。
家康という人の凄さは,明治政府になってココに師団を置いている。

山陰では大きな町で旧市街の商店街は情緒も有り都会だったあ?

師団を置くと言うことは当時の政策により中央との連絡を急いだ。
早い時期に広島とのバス路線も開設されている。

鉄道自体の開通は時間が掛かったのだが機関区が有った。
赤煉瓦の端形庫でこぢんまりとまとまっていた?
山陰本線の全通までは明治の機関車が生き残っていたようだ。

全国でココの機関区だけで使っていたスノープロウが有る。
どう言う機械かというと線路に積もった雪をかき分ける装置だ。

他線区は雪の前に取り付け春になると外していた。
浜田の物は先端が開き夏でも付けていたと言うが記憶には無い?

大きなD51を作り始めて山陰の機関車にしようと細工しているのだが!
あまり有名では無いこの仕掛けを考えている。

探してみたのだが何故か写真が見つからない?
記憶に有っても映像が無い、HDDの方はクラッシュのママだし。
ネガを穿り出すのも面倒だし・・・・・・

調べたら小淵沢に長野から浜田に来て廃車保存された機関車が!
その機関車の前に置かれているスノープロウがどうもアヤシイ。
Webで検索しても機関車の写真にチョコッと?
外して置かれているスノープロウが写っているが良くは判らない?

蝶番と返しの切れが確認出来るので間違い無いと思う。
さて、見に行くか・・・ 場所は小学校らしい・・・・・
勝手に採寸は出来ぬだろう?とりあえず出かけて見るか・・・・
一度、行ってから様子を見て管理者へお願いするかなあ?

夏の盛りに書いておいた原稿2012年09月06日 07時49分46秒

夏の盛りに書いておいた原稿を今頃、この話は何度も書いている。


子供の頃は母方の田舎に行くという理由で寝台急行に乗った。
夏休みになると東京駅につれて行ってもらう。
東海道山陽本線、呉線経由広島行き寝台急行”安芸”という列車。
当時、この列車に知り合いの車掌さんが乗っていた。

僕は東京駅でこの車掌さんに預けられ広島駅に叔母が迎えに来る!
ソウイウ仕掛けだった?

この急行列車は岡山で山陽本線の電車急行に接続し乗り換えれば昼に広島へ至り、そのまま九州まで行ける列車だった。

その為か岡山駅を過ぎると車内はガラガラになる。
車掌さんが呼びに来てオロネ10と言うA寝台車へ連れて行かれる?
そして広島駅まで拉致状態、糸崎駅での長い停車時間も・・

機関車の交換も見れないのだから沿線の途中下車など夢だった。

中学生になって色々と情報を知る事になって・・・
同好の友人と両国や上野駅・新小岩へ機関車を見に行った?
       なんか小さいような?もう少し大きかったって?

ソウイウ事でC57やC58・D51を機関車として認識する。

図書館の雑誌で始めて自分が親しんでいた機関車がC59・C62だと知る。
総武本線や八高線の機関車を見に行った後の呉線の機関車は・・・
もの凄く大きく、線路脇にいると凄い早さだった。
向洋にあった叔母の家は駅を出て勾配に掛かる辺りで下りは速度が乗る場所、上りは向洋駅構内の手前で最高速で走る区間だったからだろう。

夏になると急行”安芸”に乗るそういう子供時代を思い出す。

ストーブ列車2011年12月13日 07時16分33秒

津軽鉄道に古いディーゼル機関車が有る。
数度訪問しているけれど、動いている姿を一度も見ていない。

北海道・函館に誘われて、廃止が決まった日本海に乗ることにした。
行きと帰りに時間調整が必要となり・・
 一考の後に訪問日が22日と言うことに気がつく!

冬期のイベントは23日からとなっている。
 大湊を訪問するにも快速のリゾートあすなろ下北号は未だ運転無し!

 津軽鉄道を先と考えるも此方も同じでストーブ列車は走っていない。

色々調べていたら、なんとバスが有る?
 但しコレを利用すると大湊の滞在時間が1時間!
  かの地へ出向く用事は見残した石碑を見るだけ・・・・
   計算上は目的を達する・・・ バスは苦手だが・・ 

結果、津軽鉄道へ出かけるのが26日となる。
 
 機関車が走ることは間違いないが?
  鉄道利用では写真の撮りようが解らない! 
    何処かの駅で降りてしまえば1時間?
      それでも駅で撮影ではつまらない!

使える時間は3時間?
  そういう制限の中で考えているのも面白い! 
   しかし・・吹雪の中で待つのは嫌だなあ・・・。

蒸気暖房と電気暖房?2011年11月01日 07時57分38秒

鉄道車輌の暖房の話。当初は暖房って考えも無かったらしい!
そりゃあそうだろう開通した線路は1067mmでナローゲージ。
売り込んだ英国側からすればナローの客車だし走る距離も知れたモノ?
欧州では炭鉱や農産物の輸送、そういう目的の軌道だもの。

ところが売った方も意外だったと思うが・・・
日本人はナローゲージなのに都市間どころか国中に線路を作り始めた?
彼らは驚いたと思うよ!
    あのねソレはナローって言う簡易鉄道なんだけどなあ?
        売りつけた手前、今更言えなかったのかなあ・・・

さて・・暖房に関しては初期には湯湯婆とかって話もあるけれど。
実際に暖房が必要となった時に車輌にストーブを積むって方法が取られた。
それだって連結編成が長くなれば大変だし火災の心配もある!

そこで良いことを思いつくんだなあ。蒸気機関車の湯気を使おうって!

西洋建築が増えてくるとボイラー室を設けて蒸気暖房って経験済みだし。
そういう事で機関車が大きくなると何時の間にか蒸気暖房が当たり前に。

地方私鉄や簡易軌道には暖房の無い車輌も有ったけれど?
客車に関しては蒸気暖房が標準って事になる。

日本では碓氷峠が最初に電化されるのだが・・・
ここで困った大した距離じゃ無いので小さなボイラーを積んだ車輌を作るわけ! その辺が日本人って器用だよねえ。

さて、電化区間が増えてくると明治の機関車のボイラーを使って暖房車がだんだん大きくなる?
それじゃあ拙いので旅客用の機関車にボイラーを積んじゃうんです。
EF58やDF50が湯気を出しながらって風景は見慣れたモノでした。

これに対して東北に交流電化が伸びると何時までもお湯を沸かすってワケにも行かないでしょ!
そこで電気で暖房をする様になるんですねえ!
コレが電気暖房で客車は2000番台で区別するんです。
蒸気暖房はホースをつないで蒸気を送りますが電気はジャンパで電気回路をつなげます。
僕的には電気よりも蒸気の方が柔らかい暖かさで好きだったなあ!

茶色い客車と青い客車2011年10月27日 08時20分10秒

戦前、鉄道省の客車塗装は葡萄色だったと資料に有る?
実際は一部の保存車輌でしかこの色は見たことが無い!

一般的に茶色の客車と呼ばれる色はぶどう色2号と言われる色です。
どう見たって茶色なのだが鉄道の世界ではぶどう色って言うんだなあ?

元々は戦前の暗い色に対して進駐軍がミルクチョコレート色に指定した。
それなら、そう呼べば良いのに色に細かな日本人はなぜかぶどう色って。
戦前の色を1号って呼んでコレを2号としたわけだ!

では青い客車は?
寝台特急(あさかぜ)が固定編成で誕生した時に塗られていた色。
ブルートレインと言う愛称で大人気になって各地で走らせてって要望が!
そこで東北本線の客車特急に同じ塗装をするんですねえ?
全車冷房で空気バネの寝台特急と客車の色を変えただけの車輌?
そりゃあ苦情も出るかと思うが意外や人気が・・・

そこで丁度その時期に設備の改良が行われて新しくなった客車から青色15号に塗り替えが始まるんですねえ。
地方の方は見たこと無いからオラ方の汽車も青くなったって!

当然ながら近代化された車輌は急行に使用されて優等列車は青に。
未改装の車輌は普通列車にと・・・

僕らの頃は臨時の急行がすごく多くて、東海道山陽などは青ばかりだったけれど?九州島内行きや東北方面は混ざっていたなあ?
 名古屋始発の阿蘇も全部青では無かったって記憶がある。
  
と言うわけで蛍光灯に改造したり木目からデコラに変えた車輌も近代化改造って青になっていくんです。

元々の手入れの良いニス塗り内装の客車の方が立派なのに?
新建材的なデコラに変えた方が新しそうって・・
日本人は単純なんだなあ?

但しソコには客車の重量を軽くするって目的も有ったんですねえ。

今日は茶色? じゃ無くて! ぶどう色2号と青15号の話でした。
  あっ 12系は青20号だから間違えないでね!