斗南藩藩士上陸の地へ行く ― 2011年12月29日 11時33分17秒
朝は暗いうちに目が覚める。
とりあえず荷物を移動用から撮影用に詰め替える。
とりあえず荷物を移動用から撮影用に詰め替える。
保温性の高い下着に履き替えオーバーズボンとスパッツを付ける。
用意が調い再び喫煙コーナーへ向かう。
集まってきたのは昨日の2人? 他の人は出ても来ない?
弘前の手前で広島から弘前へ里帰りする婦人が不思議そうに?
みなさんずっとココにと聞かれた・・・
その後はスノーブーツの話題で盛り上がる。
用意が調い再び喫煙コーナーへ向かう。
集まってきたのは昨日の2人? 他の人は出ても来ない?
弘前の手前で広島から弘前へ里帰りする婦人が不思議そうに?
みなさんずっとココにと聞かれた・・・
その後はスノーブーツの話題で盛り上がる。
あっという間の青森到着、またいつか何処かで会いましょうと分かれる。
先頭に行き機関車を撮影、編成をビデオに収めテールマークをと向かうが!既にDE10のお迎えが連結済み、隙間から日本海の幕を納める。
普通列車で津軽新城へ移動する。
ホームの端にカメラをセットしていると青森方からスーパー白鳥が?
なるほど!新青森折り返しのためにココのホームを考えたなあ。
同時にいかにも臨時措置なのが解る、函館新幹線開業の日までか。
ホボ定時で友人乗車のあけぼのが通過していく、よし納めた。
撤収と言っても長い接続待ち、青森に帰る。
予定より早い青い森鉄道で野辺地に向かい駅蕎麦を食らう。
撤収と言っても長い接続待ち、青森に帰る。
予定より早い青い森鉄道で野辺地に向かい駅蕎麦を食らう。
大湊線は速度も速く暖かい、景色は荒涼と斗南の過酷さを思う。
大湊に着くと急いでタクシー乗り場へ2台に2名、あら行っちゃった!
直ぐに別のが戻ってきた、乗り込み上陸の地経由バスセンタと告げる。
よく話す運転手で色々案内したがるが時間が無い。
今回訪問の目的地は防波堤と廃車の利用倉庫の間に有った。
誰も訪れた跡は無い、寒風の中に説明も少なく石の柱があった。
会津戦争の後に斗南の地を与えられ新潟より最初の入植者は汽船で赴き上陸した場所。
この後に過酷な開墾と越冬の後にこの地の放棄となる。
彼らの放棄後に対露戦を想定し海軍鎮守府をこの地に・・・
まったく酷い話だなあ、開墾だけさせて追い出して利用するんだもの。
この後に過酷な開墾と越冬の後にこの地の放棄となる。
彼らの放棄後に対露戦を想定し海軍鎮守府をこの地に・・・
まったく酷い話だなあ、開墾だけさせて追い出して利用するんだもの。
説明には後に会津鶴ヶ城の石を用いてこの上陸地に石碑を建てたとある。
正面は会津に向いている。 戊辰戦争の旧跡巡りもココまで来るか?
会津の方向は解らぬが、遙かに海上自衛隊大湊地方総監部に所属する自衛艦が見える。
時間は無い、無いのだが運転手が機転を利かせて斗南の市街地跡に案内すると言うこういう人なら任せて大丈夫だ。
やはり低地では生活できなかったのだろう、思ったよりも内陸の高台。
その場所は植林した林と石碑と説明版のみ。
やはり低地では生活できなかったのだろう、思ったよりも内陸の高台。
その場所は植林した林と石碑と説明版のみ。
とって返してバスセンタまで送って貰う。
多少の余裕が有り商店街を眺めるも東北地方の街の雰囲気が出ている。
多少の余裕が有り商店街を眺めるも東北地方の街の雰囲気が出ている。
一時間半程も乗るバスは期待に反してコミュニティーバスに良くある大きさでなんともカワイイバスだった。
市街地を抜ける頃には乗客も減り、あっという間に一人だけとなる。
途中の踏切で遮断機が下りる本数の少ない大湊線、すごい確率だなあ。 友人がコレに乗っているはず。 とっさのカメラで上手いこと納める。
野辺地接続も上首尾で青森へ向かい白鳥に乗る。
半室のG席は6人の家族連れが先客でうるさい!注意して静かになる。
ホテルに入り休息の後、早めに友人を迎えに行くが北斗星は既に到着。
写真を写す前にDD51は転線していった。 直ぐに白鳥が入線。
写真を写す前にDD51は転線していった。 直ぐに白鳥が入線。
再会し、海鮮茶漬けと刺身の晩飯となる。 イカが美味しい。
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