上野寛永寺の黒門2012年01月25日 07時54分18秒

日光街道、南千住付近に円通寺という寺が有る。
江戸時代の処刑場、小塚原はこの辺りとなっている。

日光街道から境内を覗くと黒塗りの大きな柵のような物が有る。
これが上野戦争当時の寛永寺の門でこのお寺が賊徒として放置された彰義隊士の遺体を供養した縁で下げ渡された。
説明も少なく、寺自体もそういう事に無関心なのか?
シロアリに食い荒らされて酷いことになっている。
保存に関して管理者は誰でどうなっているのか解らないが手遅れの感も有る。

前から見れば弾痕で穴だらけ!攻撃の凄まじさが良く判る。

我が家の江戸末期の当主は何故か彰義隊に入って寛永寺に立てこもった?
戸籍上は捕縛されて品川監獄に投獄後、行方不明となっている。

余り興味は無いのでそれ以上は調べていない。

さて、このお寺の黒門は早い時期に行かないと・・廃棄になるかも?
それくらい酷い、しかもその後ろ側にメチャクチャに置かれている石碑。
ココに澤太郎左衛門だの新門辰五郎・三河屋幸三郎だのと名を掘られた碑がゴロゴロしている。
割れてしまっている物や傾いている物、ココの管理は?
コレだけ来歴がしっかりしているのにこの状態?

地方で有れば観光地として十分の価値があると思うが?
都なのか区なのか・・・お寺なのか? 早めに保存の方法を考えないと。

全国の色々な場所で維新の旧跡などを見に行ったが・・
 ココの弾痕の凄さは群を抜いていると思う。

長州の四境戦争以後に鳥羽伏見から函館戦までの戦跡で行った中では一番リアルに残っている!

所が保存とか史跡と言うには酷い扱い?  良く判らない物だ。