浜田の先割れ2012年10月03日 08時58分13秒

山陰地方に浜田と言う町がある。
江戸時代は長州藩が暴れるとイケナイと徳川家康の考えで代々の藩主は親藩で続いていた。
家康という人の凄さは,明治政府になってココに師団を置いている。

山陰では大きな町で旧市街の商店街は情緒も有り都会だったあ?

師団を置くと言うことは当時の政策により中央との連絡を急いだ。
早い時期に広島とのバス路線も開設されている。

鉄道自体の開通は時間が掛かったのだが機関区が有った。
赤煉瓦の端形庫でこぢんまりとまとまっていた?
山陰本線の全通までは明治の機関車が生き残っていたようだ。

全国でココの機関区だけで使っていたスノープロウが有る。
どう言う機械かというと線路に積もった雪をかき分ける装置だ。

他線区は雪の前に取り付け春になると外していた。
浜田の物は先端が開き夏でも付けていたと言うが記憶には無い?

大きなD51を作り始めて山陰の機関車にしようと細工しているのだが!
あまり有名では無いこの仕掛けを考えている。

探してみたのだが何故か写真が見つからない?
記憶に有っても映像が無い、HDDの方はクラッシュのママだし。
ネガを穿り出すのも面倒だし・・・・・・

調べたら小淵沢に長野から浜田に来て廃車保存された機関車が!
その機関車の前に置かれているスノープロウがどうもアヤシイ。
Webで検索しても機関車の写真にチョコッと?
外して置かれているスノープロウが写っているが良くは判らない?

蝶番と返しの切れが確認出来るので間違い無いと思う。
さて、見に行くか・・・ 場所は小学校らしい・・・・・
勝手に採寸は出来ぬだろう?とりあえず出かけて見るか・・・・
一度、行ってから様子を見て管理者へお願いするかなあ?

コメント

_ D6061(若)べっち ― 2012年10月03日 14時33分26秒

mixiのコメ参照!

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