寝台列車が消える2013年12月03日 07時41分10秒

遠くへ行くと言う事は寝台列車に乗ると言う事だった。
母方の田舎が広島で国鉄関係に知り合いが多かっから?
小学生の頃から東京駅で車掌さんに預けられて・・・・
寝台急行に乗って出掛けた。

自分的に一番古い寝台急行の記憶は二等車に祖父と乗っていて何処かの駅で弁当を買いに行った祖父が発車しても戻らずドキドキした!
それが寝台列車になる前の急行安芸の記憶。

その後は東京駅に行くと専務車掌に預けられて二等寝台に寝る。
朝になると空席になった一等(A寝台)に連れて行かれて座らされる。
広島駅に叔母が迎えに来るって事だ!

その後に中学生になり自分で計画を立てて出かける事が許されて。
その代わりに寝台には乗れなくなった。
まっ その翌年で急行安芸も無くなってしまうわけ。

ココの所、アッチコッチ出掛けているけれど・・・
やっとそう言う事が出来るようになったら寝台列車も風前の灯火!
とりあえずは殆どの列車には乗っているのだが?

トワイライトというヤツには途中からしか乗っていない。
ココは一つ、大阪から札幌まで乗りたいものだ!
理由はただ一つ、琵琶湖を見ながら食堂車でオムライスを食う。

最後の昼営業、それを楽しまぬ手は無い。