海軍姫路航空隊鶉野飛行場跡2014年11月25日 08時26分26秒

姫路に古い友人がいる?(殆どの人は誰だか解るよねえ)
彼の母親が零戦を作っていた。 と 言っていた。
そこの家の裏にある道を牛車に乗せて飛行機を運んだという。
既に何度か聞いていた話しだが・・・
久々に寄って昆布屋で昼食、時間も有るので周辺を散策と法華山に行く。
随分と前には行った事があるはずだが記憶も定かでは無い。
修復されているようだし、コンナだったかなあと見て回る。

その後で飛行場を見つけたと彼が言い出した。
行って見ると舗装された広い空き地?コレ飛行場だろうと・・
道路とは別に舗装された平らな敷地。 
あれ? 管理者が陸上自衛隊になっている。
戦争中の飛行場がそのまま有るはずは無し、おかしいなあと眺めると!
遠くに海軍旗がはためいている。
旗の所まで行ってみれば海軍姫路航空隊跡地の記念碑、ナルホド!
そう言うワケで滑走路の形で残っていたのか。
播但線京口駅に有る姫路空襲のモニュメント!
川西航空機の工場が有り動員された女学生などが大勢犠牲になっている。
飛行場跡の記念碑もその事に触れていた。

この場所に戦闘機50機程が有ったと記載されていた。
終戦時には川西航空機の組み立て場に6機が作りかけだったという。
ココで組み立てて海軍に引き渡されたらしい?

この場所は特攻隊の訓練にも使われていたという。
牛車で運んでいたと言うが500機もの戦闘機を牛が運んだのかなあ?
記念碑の横には紫電のエンジン整備台が置かれていた。
周辺には資料館や遺跡も点在していたが何処も施錠されている。
連絡して伺えば案内が可能と記載があった。
全国の色々なトコロに戦争遺跡って言うのがあるが?
こんな、市街地の近くでコレだけ広大な遺跡って言うのは珍しい。


ちなみに、彼の母親はゼロ戦は作っていないと思う!
作っていたのは紫電と紫電改と判明した。





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