美作大原2011年10月19日 08時15分21秒

因幡街道に沿って宿場町が点在していると聞いていた・・・

観光地として売り出したのは大原、その他にも古い町並みの宿場が点在していると聞いている。
今回は突然の思い付き、とりあえず鳥取道を走りきった道の駅で調べる。
観光に関する資料は無くお土産に梨を買う?

通り道なので大原駅に寄る。
車両基地もあり駅は大きいがホームが高架上で壁の横に駅舎が有る風。
やっと観光用の地図を見つけて・・ ん?駅前の道を直進らしい?

T字路を曲がると中途半端に保存された町並みになる。

本陣と脇本陣が残っていると保存の対象になるという悪癖?
他は最近の建物が浸食してあまり雰囲気は出ない風情?

企画の途中なのか妙に町中の路面が白っぽい?
行ってみたいと思っていた宿場とは違うらしいと気づくが・・・
そのまま散策し、そのまま移動する。

再び鳥取道と看板が出るも、直進で宮本武蔵と有る。

宮本武蔵2011年10月20日 08時42分40秒

美作の人である!
と言うことは昨今の常識、観光の目玉になっている?
以前から智頭急行線に乗るたびにアナウスで聞かされる。
宮本武蔵駅・・・ 駅があるくらいだから何か有るのだろう?

途中に魅力的な町並みを見つける。
この辺りの陰陽連絡道の宿駅は裕福だったのではと思う!
祭られている社寺の規模や古さ、そういったモノが残っている。
大和朝廷と早い時期に交わっているから土地神の祭られ方が立派!
案内の看板を見ながら進むも体育館のような場所に出る。

同行の大阪人は何故か近道が好きで裏道進入し適当な駐車場に入れる。
資料館と有るがアヤシイ! が ソコしか解らず一人5百円払う?
 予想通り見るべきモノは無く全て複製と但し書きが有る!
    こんなモノで観光客を呼ぶとはと呆れて出てくると・・・・
どうやら裏側から入ったと気がつく!
表に回るとお金使っちゃったなあって感じの庭が、入り口まで行ってみる。
正面になかなかの社が有り武蔵が遊んだって書いてある?
その横が生まれた家らしい・・ というか生家と書いてある。
名の有る家の出となっているが関ヶ原に雑兵として参戦したと聞く武蔵がそう言う出自とは思えないのだが?
石碑などが乱立?している小公園のような場所の写真を写そうとカメラを構えると爺の車が目の前に停まる。
出てきて眺めるので・・駐車場に止めろと注意する!
最近はこの手の爺婆が多い!モノを知らなくマナーなどほど遠い。
駐車場も完備されているのに観光スポット前の路上に平気で停める。
恥ずかしくないのか聞くと・・ 移動したが今度は交差点の真ん中に?

今時の年寄りはモノを知らない・・教育を受けていないらしい。
 ああいう人に若い者はとか言われる今時の若者は可哀想だなあ?



丹波の黒豆2011年10月21日 07時39分43秒

電話してでんすけを用意させた以上はなんとしても茨木に着かねば?
しかし・・高速道路の状況は事故だの故障車だのと表示が出ている。

大阪人は堪え性が無い!
渋滞の遙か手前で高速を下りてしまう?

なんだか良く判らない山の中をグルグル走り回る。

 エライい坂道を登ったり下がったり・・・
  
見たことがある景色がでたら舞鶴道?
ん? ここまで高速でくれば良かったのでは?

路地を曲がり田の縁を走り・・丹波となる?
 なるほど!大阪人は宝塚を回り込み茨木へ向かうらしい。

道端に銀色に光る大きな黒豆を見つけると・・・
 黒豆は好きかと聞いてくる。

実はかなりの豆好きなんだなあ!

豆畑が見え始めると店が無いと怒り出す。
山を越えてやっと丹波の平坦地に出たというのに・・
 道端にリサイクル屋風の店があり親父が2人豆を選んでいる。
 突然Uターンして飛び込む!
   豆アリマンノカ あまりよいのアリマヘンデエ!
売っている親父が良いのは無いと言っているのに何で買うかなあ?

案の定、その店を過ぎればそこら中に湧いて出たように黒豆の幟!

 どのようなモノかというと。
大きな枝豆だな。 中身が少し黒い。
 これがウマイ! たいそうにウマイ!
売っているヤツが良くないと言っていてこれだけウマイ!

せっかくなら美味しいと書いてある店で買えば良いモノを・・・・
 走る車の窓からでも品物が良いのが判る・・・
  なのに・・・・ 既に・・・・・  僕の分も有る?

食べ物カメラ交代2011年10月24日 07時41分29秒

デジカメは代々Canonを使って来た。
元々は代理店(今でも)だから・・販促で貰っていた?

今の携帯電話に変えた時はカメラの性能に驚いたが・・・
最近、小さなカメラを新調した。
生意気にレンズを交換する事が出来る。
何時の間にかコンデジのふざけたズームに慣れていて・・
この大きさで固定焦点というのが新鮮ではある?

しかし、今までのようにメモ的に使うにはイマイチな感じだ。
小さいくせに一眼レフよりもキチンとした手順を要求する。
手順をちゃんとすると驚く絵を記録する事も可能のだ。

そこで食べ物の写真は携帯電話で写すことにしようと思う!

そう決めて使い始めると、なんと便利に出来ている。

レンズを対象物に向けて撮したいモノを画面上で触れる。
ソコにピントが行って露出が合う。
状況を判断するらしく?食い物の場合はマクロの表示が出る。
その後、シャッターが切れる。

なるほど!ボタンを押さないのでぶれない。(手ぶれ補正も付いている)

タイムラグが多いので動くモノには弱いけれど・・
食い物は動かないので威力を発揮する。

小さなカメラはお出かけの時は何時もぶら下げているが・・
意外と活躍の場が無い。

使わなくなったCanonは・・・・

オハ352011年10月25日 08時16分43秒

鉄道模型の客車を買いに行った。
以前から気になっていた変わった客車の販売予告!
友人が発売になったと知らせてきた。

何処で売っているのかなあと調べてみたら・・・
何時も山道具を買いに行く店の近所じゃあないか?
防寒着も新調しようと思っていたので早速出かけることにした。

防寒着の話は別項として・・いも屋へ行った話も別項としよう?

地図で見たとおり路地を歩くと有り得ない人の列が見える。
拉麺屋の行列のようだ! 目的の店はソコの上階?
道路を渡り歩いて行くと行列で入り口が・・・
気にせずにそのまま歩くと・・まるでモーゼのように行列が左右に開く。

ちょっと恥ずかしいがどう言う具合であんなに綺麗に退くのか?
もの凄く小さなエレベーターはもの凄く遅く・・
 揺れも恐ろしい・・ ドアが開くとソコは店の中で狭い!
 こりゃあ下の拉麵屋って何席なんだろうなあと関係無いことに関心。

暇そうな店主に話しかけると堰を切ったように話し始める。
購入したのは鋼板屋根戦後型の絞折妻オハ35!

こういう車輌が製品化されるとは時代も変わったんだなあと思う。
だいたい格好悪いし実車も滅多に会えなかった?
僕は山陰本線で時々乗ったので懐かしいし思い入れも有る。
しかし、その手の趣味人がどれくらいいるのかなあ?

製品的には中々良く出来ている。
 手すりを自分で付けるようになっている。
忘れないうちに付けておこう!ついでに番号も・・・

ありゃ? 2000番台しか付いていない?
 端面を見ると電気暖房? とりあえず蒸気暖房なので1000番台を張る。
どうせ、こんな事に突っ込みを入れるヤツはイナイ!
 DF50の普通列車に2000番台の車番の客車を連結するよりは・・・

って 読んでいる人には既に書いてある事の意味は殆どワカラナイ!

いも屋に行った2011年10月26日 08時10分15秒

水道橋というか神田神保町なのか?
いも屋と言う天ぷら屋がある。

昔は出かけるとよく食べた。値段が凄く安くて、味は十分に美味しい。
そういうわけで海外からの旅行者にも教えていた。

天麩羅という食べ物はかなり高価で・・
 安い店ではせっかく日本に来て天麩羅のおいしさを伝えられない。
外国人達は凄く喜んでくれた。 今でも安いしウマイ!
 
随分とご無沙汰であったが汽車の撮影に復帰して最近は山道具も使うので時々出かける。

今回は初めての人を連れていたので豪勢にエビとした。

本当は普通の定食の烏賊も好きなのだが・・
 
相変わらず美味いなあ・・・
昔は天丼も有ったと思うが?ランチは2種のメニューでやっている。

店に入ると並んでいる、オーダーを聞かれる。
 お客さんは何? エビ二つ! はいエビ二つ(と言ったらしい) 
  いや違うよエビ定で二つ! ん?ああ僕にだけ聞こえていなかった?
親父が不機嫌そうにエビ定二つと言い返す。

行列の客が2個しか無いメニューを悩むので機嫌が悪かったらしい?
飯盛りを軽くって言った所で単に聞き取れなかっただけと解ったらしい!

お客さんすいませんって言っていた。
 親父の気短さは今に始まったことじゃあ無い?

高い店は何処にでも有るが昼飯ならいも屋に勝る天麩羅定食は無い!

茶色い客車と青い客車2011年10月27日 08時20分10秒

戦前、鉄道省の客車塗装は葡萄色だったと資料に有る?
実際は一部の保存車輌でしかこの色は見たことが無い!

一般的に茶色の客車と呼ばれる色はぶどう色2号と言われる色です。
どう見たって茶色なのだが鉄道の世界ではぶどう色って言うんだなあ?

元々は戦前の暗い色に対して進駐軍がミルクチョコレート色に指定した。
それなら、そう呼べば良いのに色に細かな日本人はなぜかぶどう色って。
戦前の色を1号って呼んでコレを2号としたわけだ!

では青い客車は?
寝台特急(あさかぜ)が固定編成で誕生した時に塗られていた色。
ブルートレインと言う愛称で大人気になって各地で走らせてって要望が!
そこで東北本線の客車特急に同じ塗装をするんですねえ?
全車冷房で空気バネの寝台特急と客車の色を変えただけの車輌?
そりゃあ苦情も出るかと思うが意外や人気が・・・

そこで丁度その時期に設備の改良が行われて新しくなった客車から青色15号に塗り替えが始まるんですねえ。
地方の方は見たこと無いからオラ方の汽車も青くなったって!

当然ながら近代化された車輌は急行に使用されて優等列車は青に。
未改装の車輌は普通列車にと・・・

僕らの頃は臨時の急行がすごく多くて、東海道山陽などは青ばかりだったけれど?九州島内行きや東北方面は混ざっていたなあ?
 名古屋始発の阿蘇も全部青では無かったって記憶がある。
  
と言うわけで蛍光灯に改造したり木目からデコラに変えた車輌も近代化改造って青になっていくんです。

元々の手入れの良いニス塗り内装の客車の方が立派なのに?
新建材的なデコラに変えた方が新しそうって・・
日本人は単純なんだなあ?

但しソコには客車の重量を軽くするって目的も有ったんですねえ。

今日は茶色? じゃ無くて! ぶどう色2号と青15号の話でした。
  あっ 12系は青20号だから間違えないでね!

フローリングの張り替え2011年10月28日 07時38分22秒

マンションも築10年を超えた。
外壁の洗浄やコーキングの打ち替えを検討している。
設備については既に空調を変えている。

最近は水道栓が時々トラブルかなあ?

ガスはコンロがアヤシイ・・・幸い給湯器のトラブルは無い!

さて、先日退去した部屋で床面がザラザラになっていた。
今までの例だと洗浄してワックスをかければ修復できたのだが?
今回は色も落ちてかなり重傷のようだ。

そう言えば春の地震の際に水槽の水が溢れたと言っていたような?
いずれにしても今までに無い痛み様で検討の結果は張り替えとする。

ココは玄関からLDKまで継ぎ目無しでつながっている。
全部をやり替えると大変な作業だなあ。
仕方が無いのでLDで縁を切って、それでも広いからなあ。

作業は二日に渡り、張り替えは一日で終わる。

表面の損傷は窓側の端だけれど全面張り替えに至る責任は借り手に有る。
とは言っても全額の負担は無理だろう。
付帯の工事も有るけれど張り賃の1/4の請求とする。

こういう事って難しい。
なるべくフェアに行いたいと思うけれど経年変化と入居者責任。
基本的には壊した人の責任としている。
 壊われた場合は貸し主だけれど・・普通は壊れはしない?

今回の床の張り替えも地震の時に水が漏れたって聞いていたが・・
こう言うことなら保険屋さんに申告しておけば良かった。

その為に保険も入っているのだが・・・ 意外に遠慮されているようだ?
別に保険金が変わるわけじゃ無し言ってくれれば良いモノを・・・・

では綺麗になった部屋をと思ったが・・写真じゃワカラナイ!

 で 職人肌の大工と契約しているリフォーム会社の責任者の仕事ぶり!
片方は邪魔しているように見えるのは・・・・・・

藤沢、しぇんろんで一龍斎春水さん の講談を聞く2011年10月31日 07時35分51秒

早朝に来るかと思ったさんぶぅは八時頃にやって来た?
少し寝ると言って・・ん?MSを出入りする人が何かに驚いている!
なんでかなあと見に行くと大阪ナンバーの軽、サイドドア横に・・・
 かわいらしく靴が揃えてある・・ 大鼾が大気を震わす?

九時頃にデブ&デブが出かけて行った。
僕は10時20分”えのしま”で向かうこの車輌は狭いし椅子が悪いなあ。

時間になるといきなり朗読が始まる? チョット説明くらいしないと?
話し終わると意外やお喋りで順番が逆だなあ?

落語の方はつかみが上手だったなあ・・・・

さて、講談は中村久子伝で話の中に姫路五軒屋敷が出てきた。
この五軒邸と言うのは中堀と外堀の間の南北に細長い町。
実は北の端の道が京口駅前につながる。

十代の頃の撮影行で度々歩いた場所だ。
時間は始発前、午前3~4時頃かなあ?
中堀を越えると暗く静かな町並みが少し怖かったなあ!

当時のカメラでは暗くて写真は写らず。
一番の貨物列車を踏切で見送り駅から始発に乗って播但路に入るわけだ!

後に知り合い四十年を越える付き合いになるあんちゃんは当時この踏切近く竹之門に住んでいて不思議な縁を感じている。

講談を聞いていて?中村久子さんの事はあんちゃんから聞いた記憶が無い!
では?どうして五軒邸が記憶に有るのか・・・初めて聞いた話のはずだし?

クライマックスの感動の辺りで・・
夏の中堀堤と蛙の鳴き声・真冬の五軒屋の道やポプラ並木と市川から登る朝日を思い出してしまった。

一龍済春水さんの事は親方に紹介されるまで全く知らなかった。
テレビや漫画などあまり見ない方なので彼らの説明にチョット遅れる?
けれどこの方の話し、金子みすゞ伝であれ中村久子伝であれ・・・
長門の仙崎だったり五軒邸が出てきたり? 不思議な感じがするなあ・・・

ちなみにあんちゃんの出身校は東光中?
ベイカ保育園の前は通学路じゃないのか・・・?

が あんちゃんは中村久子さんの事どころか保育園のことも記憶に無い!
どうして僕の記憶に有るのだろう・・・・